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【イベントレポート】ジャパニーズウイスキーの日 特別講演&乾杯イベント2023<第1弾>

2023.09.29 / 最終更新日:2024.02.08

4月1日は「ジャパニーズウイスキーの日」。

2021年に「ジャパニーズウイスキーの日」と正式に承認されて以来、今年で3度目の開催となる「ジャパニーズウイスキーの日乾杯イベント」が都内のCIVI研修センター日本橋N6ホールで開かれました。
初めてのオフライン開催となった今回は、会場に国内外から多くのウイスキー愛好家が集まりました!基調講演、テイスティングセミナー、トークショー&乾杯イベントの3部構成で、ジャパニーズウイスキー誕生の歴史からクラフト蒸溜所の現在、そして各蒸溜所の今後の展望についてお話をお伺いしました!

第1弾の記事となる今回は、ウイスキー文化研究所代表の土屋守さんから「ジャパニーズウイスキーの夜明け」をテーマにした基調講演の様子をお送りします!
ジャパニーズウイスキーの起源や最初に日本に持ち込まれたウイスキーの秘密に迫ります!初めて知る情報も多いかと思いますのでぜひお楽しみください!

併せてお読みください!

イベント概要

「ジャパニーズウイスキーの日」はウイスキー文化研究所の運営するジャパニーズウイスキーの日 実行委員会によって制定されました。(2021年3月8日に記念日登録委員会が正式登録)
1929年4月1日に日本初の本格国産ウイスキー「サントリーウヰスキー(通称“白札“)」が発売されてから、僅か100年足らずでジャパニーズウイスキーは全世界から高い評価を受けるまでに成長しました。
そこでジャパニーズウイスキーの日実行委員会は、先人たちの努力や想い、ジャパニーズウイスキーブームを多くの方々に知っていただくことを目的としてジャパニーズウイスキーの情報発信、応援を行っています!

「ジャパニーズウイスキーの日実行委員会」を運営しているウイスキー文化研究所は、ウイスキー評論家の土屋守さんが代表を務める会員制のウイスキー愛好家団体です。ウイスキー専門誌の発行、イベントやセミナーの開催、資格認定試験などウイスキーに纏わる、あらゆる事業を展開しています。

主催 ジャパニーズウイスキーの日実行委員会
運営 ウイスキー文化研究所
日時 2023年4月1日(土)15:30~20:15(3部構成)
会場 CIVI研修センター日本橋 N6ホール
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町4-1-6 クアトロ室町ビル
公式HP https://jw-day.org/

第1部基調講演「ジャパニーズウイスキーの夜明け」

日本のウイスキーの起源を調査

ちょうど20年前、「ウイスキー文化研究所」の前身となった、「スコッチ文化研究所」に、某民放テレビ局のプロデューサーから1本の電話が掛かってきました。その内容は「ペリー来航から150周年で特集を組みたい。ペリーが日本に持ってきた物の中にウイスキーがあったのですが、どのようなウイスキーだったのか知らないか」というものでした。しかし私は「ペリーがウイスキーを日本に持ってきた」というような話は全く聞いたことがなかったので、詳しく調べてみることにしました。

ペリー来航とウイスキーの関係

1852年11月に東インド艦隊司令官ペリーは自身が建造に関わった蒸気軍艦ミシシッピ号に乗り、アメリカのノーフォーク軍港を出発しました。大西洋を越え、マディラ島、セント・ヘレナ島、ケープタウンを経由してインド洋に入り、モーリシャス島、シンガポール、香港、そして上海を経由して、1853年5月26日琉球王国(現在の沖縄)に到着。その後、1853年7月8日浦賀湾に入港。ペリーは、琉球、浦賀で日本人と共に食事をし、お酒を交わしました。この際、ペリーは日本の高官たちへ西洋の料理やワイン、シェリー酒、ジン、そしてウイスキーと世界各地のお酒を振舞ったということが文献に記されていました。つまりこのときに、日本人や当時の琉球王国の人々は初めてウイスキーに触れたのです。

ペリーが持ちこんだウイスキーは一体何だったのか

ペリーが持ち込んだウイスキーの銘柄が何だったのでしょうか。記録によると、ペリーがアメリカを出港したのは1852年です。つまり、1860年以降にブレンデッドウイスキーが造られたので、1852年にブレンデッドウイスキーをペリーが積んでいるとは考えられません。ペリー艦隊から日本側への贈答品の中に「1 barrel whiskey」や「10 ship’s beakers,containing 100 gallons whiskey」という記述がありました。1gallonは約3.8Lなので、100 gallonsは約380Lです。380Lものウイスキーを運んできたことになります。他にも「1 cask wine」や「Boxes of tea 」「A quantity of cherry cordials」「A number of baskets champaigne」という記載がありました。これだけの量をアメリカから持ってきたとは到底考えられません。

ペリー艦隊の航路を見てみると、ワインやお茶はケープタウン、セイロンで調達し、最終的に香港でウイスキーなどの洋酒も調達したのではないかと考えられます。香港に本拠地を置く、世界最古の商社である「ジャーディン・マセソン商会」で手に入れた可能性が高いです。そして、そこで手に入れたスコッチは当時も大量に流通していた「スミスのグレンリベット」ではないかと思います。ジャーディン・マセソン商会の詳細な記録はケンブリッジにあるので、ケンブリッジへ行けばペリー艦隊にどんなウイスキーを売ったのか分かるかもしれないです。

そして、アメリカンウイスキーも積んでいたらしく、これはおそらくライウイスキーだと考えられます。アメリカといえばバーボンですが、主な生産地であるケンタッキー州、テネシー州ではまだ当時は十分な生産量はありませんでした。そのため、ペリーの船に積み込まれた可能性は低いと考えられます。ペリーが乗るミシシッピ号が出発したノーフォーク軍港はバージニア州にあり、バージニアで生産されていたウイスキーは現在のライウイスキーに近いものでした。

様々な考察を行いましたが、日本人が初めて飲んだウイスキーは「スミスのグレンリベット」かアメリカの「ライウイスキー」ではないかと思います。

「ジャパニーズウイスキーの夜明け」

基調講演では、170年前のペリー来航時に持ち込まれたウイスキーについて考察しました。この時、日本人が初めてウイスキーに触れたという事実はあまり知られていません。また、数年後の南北戦争の影響でアメリカでは機械化が進み、ケンタッキー州などでバーボンウイスキーの生産が始まりました。このように、ウイスキーの勉強を通じて日本や世界の歴史についてより深い理解を得ることができるのではないでしょうか。

次回は第2部のテイスティングセミナーをお届け!

以上、第1部の土屋守さんによる基調講演の様子をお届けしました!
日本のウイスキーの起源がペリー来航に関係していることは、おそらく多くの方は初めて知ったのではないでしょうか。日本に初めて持ち込まれたと考えられるグレンリベットやライウイスキーについても興味が湧いてきました!
第2弾では、第2部のテイスティングセミナーの様子をお届けします!
ウイスキー文化研究所でリリースしてきたジャパニーズウイスキー6種と、オフィシャルボトル1種のテイスティングで、土屋守さんの楽しい解説も聞くことができました。とても貴重な限定ボトルや各蒸溜所の魅力についても詳しく触れていきます!
ぜひお楽しみに!

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