資料ダウンロード
HOME > 取材 > 【イベントレポート】WHISKY Luxe Tokyo 2023 第1弾

【イベントレポート】WHISKY Luxe Tokyo 2023 第1弾

2023.09.28 / 最終更新日:2024.02.08
WHISKY LUXE TOKYO 2023 part 1

4月12日、日本各地のウイスキー蒸溜所が集結してジャパニーズウイスキーが100周年を迎える2023年にふさわしい豪華イベント「WHISKY Luxe Tokyo 2023」が開催されました。会場では蒸溜所のこだわりやウイスキー造りの特徴をセミナー形式で聞くことができ、国内外から多くのファンやメディアが集まりました!

今回はそんな豪華イベント「WHISKY Luxe Tokyo 2023」を取材させていただきましたので、第1弾では開会の挨拶と基調講演について、第2弾と第3弾では各蒸溜所によるセミナーについて、豪華3部構成でお届けします!

第1弾の記事となる今回は、イベントについての概要や長年ジャパニーズウイスキーの隆盛を見守ってきた輿水さんや嶋谷さんによる大変貴重なお話をいただきましたのでご紹介いたします!
ジャパニーズウイスキーの変遷や日本のウイスキー業界を巡る様々な出来事、そしてジャパニーズウイスキーの現状や未来まで様々なことをお伺いしました!
ぜひお楽しみください!

併せてお読みください!

 

WHISKY Luxe Tokyo 2023 イベント概要

2023年、ジャパニーズウイスキーが100周年を迎えたことを記念して、日本各地の蒸溜所から多くの方々が集結しました。各蒸溜所のウイスキーの多彩な銘柄や歴史、製法について学ぶことができるウイスキーファン必見の充実した一日となりました!

日時

2023年4月12日(水)12:00~19:00

会場 東京国際フォーラム
主催 Whisky Magazine (UK, Paragraph Publishing)
KK Whisky Magazine Japan
公式サイト http://whiskymag.jp/whiskyluxetokyo2023/

 

Whisky Magazineについて

今回のイベントの主催企業であるWhisky Magazineは、1998年に英国で創刊したウイスキーの専門誌で多言語に翻訳され、現在世界100カ国以上で愛読されています!
また専門誌とは別に各国のウイスキー専門家がブラインド・テイスティングを行い、世界最高賞などの優秀作品を決定する世界的なウイスキーのコンペティション 「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)」を 年に1度開催しています。
ウイスキー事業に携わる身として、このような世界的な有名企業の主催イベントに参加する機会をいただいたことを大変光栄に思います。

社名 Whisky Magazine
パラグラフ・パブリッシング社
設立 1997年
代表取締役 デミアン・ライリースミス
公式HP http://whiskymag.jp/

 

イベントレポート

会場となった東京国際フォーラムには、イベント開始の午前12時になる前から待ち焦がれていた多くのファンやメディアで賑わっていました!

WHISKY Luxe Tokyo 2023の会場である東京国際フォーラムの様子

受付では、パンフレットやお水の他に各蒸溜所のイベント限定ミニボトルをいただくことができ、イベント開始前から期待に胸が膨らみました!受付を抜け扉を開けると、セミナーの座席を囲むようにある17個の蒸溜所のブースからウイスキーの独特な香りが感じられ臨場感溢れる会場となっていました。

セミナー後の試飲会では、各蒸溜所の方々からのウイスキーの製法や醸造過程を、蒸溜所の方の説明を聞きながらテイスティングできるという貴重な体験ができました。また、一部のブースでは熟成年数が0年のニューメイクのウイスキーも試飲することができ、それぞれの熟成期間や樽の種類がウイスキーにどのような影響を与えるのかを実感することができました!

ジャパニーズウイスキーの歴史や製法に触れることができるだけではなく様々な銘柄のウイスキーを学びながら味わうことが出来るため、1人のウイスキー愛飲家として至福の時間でした!

各蒸溜所のイベント限定ミニボトル

開会のご挨拶と基調講演者のお話

登壇者

輿水 精一 氏
(サントリー
元チーフブレンダー)
1949年山梨県生まれ。山梨大学工学部発酵生産学科卒業後、1973年サントリーに入社。サントリーの主席ブレンダーおよびチーフブレンダーを歴任。多くの世界的なコンペティションで賞を受賞し、ジャパニーズウイスキーを広める立役者となった。2015年には、ウイスキーマガジンの「Hall of Fame」に初めて日本人として選ばれ「ウイスキー殿堂入り」を果たした。
嶋谷 幸雄 氏 1932年大阪府生まれ。大阪大学大学院工学研究科修了( 醗酵工学)後、1956年寿屋(現サントリー)入社。以来、67年にわたり日本のウイスキーの盛衰を技術者のトップとして業界を見守り続けている。 白州蒸溜所初代工場長、山崎蒸溜所工場長、 サントリー取締役などを歴任。日本のウイスキー造りの第一人者。

以下、現地でお話しされていたご挨拶です!

開会のご挨拶 – 輿水 精一 氏

ジャパニーズウイスキーの現状

日本で初めて開催されるWHISKY Luxe Tokyo 2023に、世界中から多くのお客様をお迎えできたことに心より感謝申し上げます。今年は、日本で本格的なウイスキー造りを始めて100年という記念の年です。2000年以降、世界の主要な蒸溜酒のコンペティションにおいて日本産ウイスキーは高い評価を受け、今や世界中のウイスキーファンから注目を集める存在となりました。

その一方で、酒税法が定める日本のウイスキーの定義には曖昧な部分があり、ウイスキーの中身について国内外から疑問視されていたことも事実でした。それは、原料の一部に穀物以外のものが使用できることや貯蔵年数が明確に規定されていないこと、外国産ウイスキーのブレンドが可能であることなどによる中身の不透明さが原因と考えられます。このような原因から、「ジャパニーズウイスキーのアイデンティティは何か」という問いが常に日本のウイスキーメーカーにとっての共通の課題でありました。

基調講演者のお話し – 嶋谷 幸雄 氏

はじめに

磨かれた新しい蒸溜釜に入ったもろみが加熱され沸騰し始めると銅の色が一瞬変わり、しばらくするとニューポットという新しいウイスキーが流れ出します。この瞬間の緊張は、蒸溜所を立ち上げた人だけが味わうもので、日本で初めてこの緊張が生まれてからこの100年の間、ジャパニーズウイスキーは多くの進化を遂げてきました。私は造り手として技術と品質に焦点を当てて、その歴史を振り返りたいと思います。

サントリー創業者 鳥井 信治郎 氏

鳥井 信治郎は20歳の時に洋酒事業を立ち上げ、強い起業家精神を持ったアントレプレナー(ゼロから会社や事業を創り出す起業家のこと)でした。彼はワイン事業で得た利益の全てをウイスキー事業につぎ込むことで、本格的なウイスキー造りをスタートさせました。ウイスキー造りを始める事に対して社内外から反対もありましたが、彼のワインの成功による自信と「やったらやれる」「やってみたい」「やってみせる」という想いが、途方もない資金と時間を必要とするウイスキー造りにこだわった理由だと私は推測します。

そして、鳥井はウイスキー造り最初の土地として山崎を選び、スコットランドでウイスキー造りを学んできた竹鶴 政孝氏を招きました。その規模は1仕込み麦芽が1.62トン、仕込みの水が9キロリットルと現在のクラフト蒸溜所よりやや大きめです。計画書に記されたもろみの量、初溜・再溜量、アルコール度数など、これは現在計算しても誤りはありません。

忠実に5年貯蔵し、1929年に最初の商品である白札を発売しましたが、全く売れませんでした。その原因はスモーキーな香りの強さであったとよく言われますが、そもそもウイスキー市場が日本になかったことや品質上の問題があったからだと推測いたします。ここからが鳥井にとってウイスキー造りの苦闘の始まりでした。鳥井はこの苦闘を抜け出すために製造とブレンドの技を磨き続けました。

戦時~戦後のウイスキー産業

この鳥井の努力の結晶である「角瓶(1937年)」によって、スコッチと違った日本のウイスキーの方向が見えましたが、その後戦争が勃発し日本産業はウイスキーどころではなくなりました。それでもサントリーの先輩方はグレーンウイスキーの製造やミズナラ材の使用を進め、さらにもろみの中の乳酸や乳酸菌の存在の学会発表まで行っておりました。そして山崎蒸溜所では、原酒を守り抜くために樽を地下に埋めていました。

その後戦争が終わったものの、ウイスキーは日本人に馴染みがないままでした。そこで1945年に2代目の社長となる佐治敬三は、日本人がなじみやすいようにコストパフォーマンスを意識した「トリス」を発売しました。ハイボールという飲み方は、コストパフォーマンスが良くサラリーマンや市民が楽しみやすくなりました。そしてサントリーバー、トリスバー、ニッカバーなどが「憩いの場」として日本全国に広がりました。これにより国内のウイスキー市場が成立し、日本人にとって馴染みのあるお酒になりました。

サントリーウイスキーの見直し

1966年に佐治さんは、山崎蒸溜所内にウイスキーの高品質化のための研究所を設立し、「まずはスコッチウイスキーの第1級品に追いつくこと」を目指して全工程を見直すことから始めました。
初期の研究の成果の1つとして、当時は麦芽を粉砕する際に湿式粉砕(麦芽を水やお湯に浸漬させた後に粉砕する方法)を採用していました。これはビール式の糖化とマッシュフィルターを用いた方法でしたが、品質上重要な清澄度、発酵率が共に悪かったためこれを大幅に変更しました。
1968年に私は当時チーフブレンダーだった佐治さんと共にスコッチウイスキーを見学。ウイスキーの製造に関する多くの刺激と教訓を得ることができました。またウイスキーの輸入自由化に際しては、技術方策を当時の大蔵省の関税分析所と共同開発して麦芽のスモーキー度を数値化しました。

その後1973年に完成した白州蒸溜所でも重要な転換点がありました。白州蒸溜所では世界最大級の蒸溜所として、量や品質だけではなく佐治さんの理念に基づき環境への配慮も徹底しました。森の中に建物が溶け込むようなデザインを追求し、自然破壊を避けるためにバードサンクチュアリを設けるなど、50年前から現代的な持続可能性の考え方を表現しました。

ウイスキー市場の変動

日本のウイスキー市場は引き続き成長し、従来ウイスキーが入れなかった和食市場にも進出しました。これはいわゆる二本箸作戦(これまで日本酒しか置いていなかった、寿司屋、天ぷら屋、割烹、さらには家庭にもサントリーオールド浸透させようとする一大キャンペーン)の成功であり、サントリーオールドは世界トップのブランドになりました。またスペシャルリザーブという1階級上の製品も発売し、輸入自由化を乗り越え、日本は世界第2位のウイスキー消費国となりました。

しかし1983年をピークに日本のウイスキー市場は急激に低迷し、私たちサントリーは70年代後半から原酒の多様化の必要性を認識していました。日本とスコッチの大きな違いは、スコッチの場合は100社近い蒸溜所からブレンダーは好みの原酒を選べる一方で、日本では1社で他種類の原酒を用意する必要がありました。

商品の研究と見直しの努力

課題に懸命に取り組み、白州蒸溜所、山崎蒸溜所の大改修に活かしました。蒸溜所の環境の見直しやお客様にもっとウイスキーに親しんでいただけるような取り組みも行われました。またブレンダーたちは、これらを活かして後に社会で高評価をいただいたシングルモルト、ブレンデッドの名品を造りました。

現在のサントリーウイスキーの高評価は、20年ほどに渡る不況の中でも諦めずに高品質化や多様化への努力をした結果と言えます。ジャパニーズウイスキーの高品質は、2000年代初め頃から世界に認知されるようになってきました。ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジの略称。スコッチウイスキーの聖地イギリスで行われるコンペティション)の審査員を務められていた輿水さんやニッカウヰスキー株式会社の佐藤さんの実体験はもちろん、ジャパニーズウイスキーの製品や蒸溜所が最優秀を毎年のように獲得したことによっても感じていました。

ジャパニーズウイスキーの高評価は長きに渡って続き、急速に山崎や白州などのジャパニーズウイスキーの需要が増大しました。また、営業部の抜群の発想力や現場感覚によってお客様のニーズを的確に捉え、ハイボールといった楽しみ方なども増えていきました。この時期からウイスキーは老若男女問わず愛されるお酒となり、販売量も増加しました。日本のスタンダードウイスキーの品質も格段に優れているという評価がありますが、買いやすいブレンデッドウイスキーが市場を開拓し、高級ウイスキーの需要と相まって市場を開拓し、今や新しいウイスキー時代が創造されつつあります。

ジャパニーズウイスキーの未来

ジャパニーズウイスキーの需要は徐々に回復しつつありますが、まだ最盛期の半分にも達しておりません。輸出金額も酒類の中ではトップではあるものの、スコッチウイスキーの20分の1程度です。現在ジャパニーズウイスキーは世界的に高い評価を得ていますが、今後もその地位を維持するためには継続的な努力が必要です。私たち造り手は、ジャパニーズウイスキーの将来をどのように考えて行動すればいいでしょうか。

造り手の問題の本質は量ではなく質です。そのためジャパニーズウイスキーがより発展するためには、造り手たちが自分たちの優れた品質で勝負すること、そしてそれぞれの蒸溜所が築き上げた特性を磨き続けることが大切です。

日本はスコットランドよりも南北に長いため、ジャパニーズウイスキーのキャラクターを一言で再現することは難しいのですが、特性を作るために私が期待するところは、まずは何といっても日本の水の良さです。これによって、ウイスキーの風味を非常にクリーンなものにさせます。次に、明確な四季によって熟成の際にアクセントを与えます。そして、熟成期間の長さによって最もウイスキーに重要なハーモニーと奥深さを与えます。さらに、日本人の持つ物造りのこだわりによってウイスキーの繊細さを与えていると思います。また、環境のみならず造り手とブレンダーの絶え間ない向上心と巧みな技の磨きがあります。最後に水割りやお湯割りに向く性格で、食中酒として楽しめるウイスキーです。

ジャパニーズウイスキーが始まった100年間はまだプロローグです。ここを再出発の地点として、ウイスキー造りの仲間がお互いの品質と技を磨き合い、日本人が誇りに思うことができるウイスキーを造り続けましょう。そして、日本文化とともに尊敬されるジャパニーズウイスキーを世界中に広げていきましょう。

『世界にジャパニーズウイスキーを待ち望む未開拓の地が広く存在していることを信じて。』

試飲会

今回のイベントではウイスキーを試飲しながら各蒸溜所のセミナーを聞くことができるだけではなく、各蒸溜所のブースにて様々な銘柄をテイスティングさせていただくことができました!

各蒸溜所の方々がウイスキーの製法や醸造過程、そして味わいや特徴を紹介して下さったので、非常に貴重な体験となりました!

ニューメイクのウイスキー

熟成年数が0年のニューメイクのウイスキーも試飲出来るブースも多くあり、それぞれの熟成期間や樽の種類がウイスキーにどのような影響を与えるのかを実感することができました!

秩父蒸溜所 ブースのボトル

ニセコ蒸溜所 ブースのボトル

新潟亀田蒸溜所 ブースのボトル

山崎12年の構成原酒

そしてなんと今回は、山崎蒸溜所のブースで山崎12年の構成原酒を飲ませていただくことができました!
構成原酒とはブレンドやヴァッティングを行う前の、樽から出されたままのウイスキーのことです。
今や滅多にお目にかかれない山崎12年。その銘柄の構成原酒をいただけるのは、ジャパニーズウイスキー100周年を祝うイベントだからこその特典ですね!

山崎12年の構成原酒は以下の2種です。

山崎12年の構成原酒①:スパニッシュオーク樽

スパニッシュオーク樽は一般的なアメリカンオーク樽と比較してタンニン等が多く溶け出すので、濃厚な香りのモルト原酒を生み出します。濃縮感のある甘味や酸味、リッチな果実香が特徴です。

山崎12年の構成原酒②:ミズナラ樽

ミズナラ樽のウイスキー製造を初めて行ったのはサントリーでした。白檀(ビャクダン)や伽羅(キャラ)といったお線香に使われる香木を思わせる独特の香りがありますが、どこか甘く華やかな味わいを感じられる特徴があります。

山崎蒸溜所 ブースのボトル

次回の第2弾ではセミナー編をお送りします!

以上、WHISKY Luxe Tokyo 2023のイベントレポート第1弾でした!
今回のイベントは、世界的ウイスキー専門誌であるWHISKY Magazineが主催する、ジャパニーズウイスキー100周年を祝う初めてのイベントでした。日本を代表する有名蒸溜所の方々のセミナーや試飲会を通して、参加者全員が忘れられない貴重な想い出になったと思います。また、このイベントに参加したことでより一層ジャパニーズウイスキー100周年を迎えられたことに深い感慨を覚えました!

併せてお読みください!

ウイスキーを樽で買う!無料特典付きウェビナーのご紹介

SNSで最新情報をお知らせ
Contact

ウイスキーカスクの購入、Barでの取り扱い、取材・インタビュー、事業提携のご相談など
お気軽にご連絡ください