【イベントレポート】Tri Carragh(チカラ)テイスティングイベント
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日本初のシングルモルトウイスキーが生まれた場所、長野県の軽井沢町に新たな蒸留所「軽井沢ウイスキー」が2022年冬より製造開始します。軽井沢エリアでのウイスキー製造は、御代田町にあったメルシャン軽井沢ウイスキー蒸留所が2012年に閉鎖してしまて以来です。そこに新たに「軽井沢ウイスキー」を手掛ける、1653年創業の戸塚酒造株式会社の取締役社長の戸塚繁さんに独占インタビューをさせていただきました。
前半となる今回のインタビューでは、蒸留所設立にかける想いや苦労したこと、今後の展望などをお伺いしました。
ぜひお楽しみください!
戸塚酒造株式会社は、長野県佐久市に位置し、1653(承応2)年に創業され「寒竹」などのブランドで知られる信州佐久地域では最も長い歴史を持つ酒造メーカーです。品質一筋の酒造りに取り組み、蔵人自ら原料の酒米や焼酎用の芋を栽培しています。そのこだわりは、コロナを機に参画した洋酒づくりにも表れており、今回新たに手掛ける「軽井沢ウイスキー」は蒸留の機械を本場スコットランドから輸入し、軽井沢産の原料を使用する予定です。「軽井沢ウイスキー」は、洋酒文化を軽井沢に根付かせるための一翼を担うことが期待されいます。
浅間山麓の澄んだ水、軽井沢の冷涼な気候は麦の生育とウイスキーの熟成に理想的な土地に軽井沢ウイスキー蒸留所が設立される予定です。その軽井沢ウイスキー蒸留所を運営しているのが、1653年創業の戸塚酒造株式会社です。
地の水、風の水を生かして、地元産の原料を中心に使用することで「軽井沢ウイスキー」にしか出せない味をこれからも追求しようとしています。
そのために、「メルシャン軽井沢ウイスキー蒸留所」でウイスキーの製造に50年間携わり、同蒸留所の閉鎖まで見守った最後のモルトマスターである内堀 修省さんを顧問に、同蒸留所のウイスキーディーラーである中里 美行産を工場長として蒸溜を開始するそうです。
軽井沢ウイスキー蒸留所は2022年冬に製造開始予定です。
蒸留所名 | 軽井沢ウイスキー蒸留所 |
会社名 | 軽井沢ウイスキー株式会社 |
親会社 | 戸塚酒造株式会社 |
代表取締役社長 | 戸塚 繁 様 |
問い合わせ先 | 0267-46-4939 |
公式HP | 軽井沢ウイスキー蒸留所ホームページ |
代表取締役 戸塚 繁 様 戸塚酒造16代目蔵元・代表取締役社長。 御代田の地でかつて造られていた「オールド軽井沢ウイスキー」を復活させ、また豊かな自然環境や全国屈指の別荘地としての文化形成で行われている土地で愛される文化にしたいと考えています。 そのために満を持して「新軽井沢ウイスキー」を立ち上げました。 世界で唯一無二の「軽井沢ウイスキー」にしか出せない味わいを追求していきます。 |
Dear WHISKY:
戸塚酒造と言えば、「寒竹」に代表される創業360余年、江戸時代の初頭から続く老舗です。この度、ウイスキー造りに乗り出した経緯を教えていただけますか?
軽井沢ウイスキーさん:
25年ほど前、東京日本橋にある酒類卸問屋で修業したのがきっかけでした。海外部門の洋酒営業でバー巡りをしていく中で「熟成酒」に興味を惹かれたのです。年数を重ねて、味わいが変化していく、日本酒にはない概念ですよね。
その後、地元 佐久に戻ってきた20年ほど前から、ウイスキー造りを考え始めました。しかし、何年も寝かせるとなると、資本力のある大企業でない限りは出来ません。当時は芋焼酎の全盛期だったため、ウイスキー造りは一旦諦め、日本酒と焼酎造りに集中していました。ただ、「いつかはウイスキーを造りたい」という想いはずっとあり、土地探しは続けていましたね。
Dear WHISKY:
20年間ずっとアイデアを温めていたのですね。そこから実際に軽井沢ウイスキー設立へと至ったきっかけは何でしょうか?
軽井沢ウイスキーさん:
調査を続けるうちに、最近では、中小の蒸留所でもウイスキー造りが出来ることが分かりました。同じタイミングで、ベンチャーウイスキーの秩父蒸留所の創設に関わった内堀修省さんが地元 御代田に帰ってきていると聞き、早速コンタクトを取りました。ウイスキー造りの話を持ち掛けると、「本気でやるならば」と仰ってくれたのです。それから、本格的に蒸留所設立に向けて動き出しました。
Dear WHISKY:
軽井沢ウイスキーは浅間山麓、草原と木々に囲まれた自然豊かな場所にありますね。この場所を選んだ理由は何でしょうか?
軽井沢ウイスキーさん:
蒸留所開設にあたっては、設備の輸入トラブルや海外との法律文書のやり取りなど、多くの苦労がありました。中でも、土地探しは最も難航しましたね。軽井沢には別荘地や用途地など土地規制が多くあります。ウイスキーの熟成に理想の環境で、かつ利用可能な土地を探していく中でこの場所に出会えたのです。
Dear WHISKY:
軽井沢ならではの苦労ですね。それでも軽井沢の地へこだわったのはなぜでしょうか?
軽井沢ウイスキーさん:
幼い頃から観光地としての軽井沢を見てきて、当蔵のお酒も多く飲んでいただいているこの地で始めたいと思いました。また、この先、商標規制がより厳格になることや自分より後の世代のことを考えると、絶対に軽井沢に蒸留所を建てたいと思いました。条例は厳しいですが、一つ一つクリアして、地元の人々に愛されるものを造っていきたいです。
Dear WHISKY:
戸塚酒造と軽井沢には特別な縁があるのですね。軽井沢の気候がウイスキーに与える影響についてはどうお考えでしょうか?
軽井沢ウイスキーさん:
かつて宣教師達がこの土地を選んだように、軽井沢には湿地帯が多く、スコットランドやカナダとも気候が似ています。この冷涼な気候が、ウイスキーの熟成にぴったりなんです。最近では、温かい地域で熟成期間を短くとる手法も見られますが、私はしっかりとした温度変化が重要だと考えています。夏は暑くとも、冬にはしっかりと気温が下がるという意味です。軽井沢ではもっと熟成が遅いかもしれませんが、色々と試行錯誤していきたいです。
Dear WHISKY:
メルシャン軽井沢蒸留所が閉鎖して10年が経ちます。この地域に再び蒸留所ができると聞いた地元住民の反応はどうでしたか?
軽井沢ウイスキーさん:
軽井沢には様々な方がいらっしゃいますが、多くの人から応援と喜びの声をいただいています。農家の方々をはじめ、何か出来ることがないか?と声をかけてもらえることも多く、大変心強いですね。このエリアでは3年前から麦の生産を行っており、ウイスキーの原材料は地元産で賄う予定です。麦に限らず、地域の農産物の利用など、今後連携を強化していきたいと話しています。
Dear WHISKY:
地域産の麦を利用予定なのですね。仕込み水はいかがでしょうか?
軽井沢ウイスキーさん:
軽井沢といえば硬水のイメージがあるかと思いますが、ここでは珍しく硬水と軟水の両方が使用できます。浅間山から高低差で動いてくる伏流水は硬水ですが、蒸留所の近辺では軟水もとれるのです。メルシャン時代の軽井沢蒸留所は軟水を使用していましたが、私たちは両方を織り交ぜながら試していきたいと考えています。
Dear WHISKY:
どのようなウイスキーを造っていきたいか、現時点での構想はありますか?
軽井沢ウイスキーさん:
地元の原料を使いつつ、メルシャン時代の味を復活させることが第一の目標です。ポットスチルも流行りの形ではなく、メルシャン初期の形を踏襲しています。やりたいことは沢山あるので、まずはメルシャン軽井沢蒸留所の思いを受け継ぎながら、新たなジャパニーズウイスキーを造っていきたいと考えています。
Dear WHISKY:
軽井沢ウイスキーは人材育成にも積極的な姿勢を見せていますね。その背景にはどのような思いがあるのでしょうか?
軽井沢ウイスキーさん:
つい最近まで、日本でウイスキー造りを行う会社は10社(うち実稼働は数社)ほどしかありませんでした。日本酒造りの会社が1,000社ほどあるのとは対照的ですね。そんな世界ですので、造り手側、技術者の数が大変少ないのです。
私がたまたま恵まれたのは、顧問の内堀修省氏と工場長の中里美行氏が経験者なおかつメルシャン時代のウイスキー造りを知っていたことです。お二人のおかげで、ここまで来ることが出来ました。しかし業界全体で考えると、後継者を育てていかないことには発展していきません。この先、他でやりたいと言う人がいたとき、応援できる体制をつくり上げていきたいと思っています。
Dear WHISKY:
販売先は、日本と海外どちらも考えているのでしょうか?
軽井沢ウイスキーさん:
まずは国内での知名度を上げ、バーに行ったら必ず置いてあるようなウイスキーにしていきたいと思っています。また、軽井沢という土地柄、外国人の住民も多く海外にも引き合いがあるため、世界に向けても販売を拡大予定です。
Dear WHISKY:
地元産の原料を使用した、唯一無二のウイスキーを心待ちにしている人は多いと思います。工場が稼働しましたら、また続報をお待ちしています!
以上、軽井沢に再度ウイスキーの文化を盛り上げようとしている、戸塚酒造株式会社の戸塚繁さんへの独占インタビューでした!
今回のインタビューでは、軽井沢でなぜ蒸留所を設立しようと考えられたのか、今後どのようなウイスキーを造っていきたいのか、さらには地元の方とのかかわりまでお話いただきました。
今後もウイスキーの熟成に最適な軽井沢の土地で地元産の材料を使い造られるウイスキーから目が離せません!
ぜひ軽井沢に行かれた際は、軽井沢ウイスキー蒸留所に足を運んでみてはいかがでしょうか?