マイヤーズ – アルゴイのウイスキー
- ドイツ
エリア | ハイランド |
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設立年 | 1908年 (閉鎖年: 1962年) |
1908年に設立されたモルトミル蒸溜所は、ラガヴーリンとラフロイグのオーナー同士の険悪な対立から生まれました。 20世紀初頭、ラガヴーリンのオーナーであったピーター・マッキーは、自身の会社であるマッキー&コーを通じて近くのラフロイグ蒸溜所の代理人も務めていました。この契約は何十年にも渡り結ばれ続けていましたが、ラフロイグのオーナーであったアレックス・ジョンストンが1907年に亡くなり、甥のイアン・ハンターが島に来ると状況が一変しました。新米技術者であったハンターはこの代理店契約に失望しました。ハンターは、マッキーがラフロイグの生産量のほとんどを自社のブレンドに使用しようと要求しているために、ラフロイグ蒸溜所は最高のリターンを得ていないと感じていました。その結果、マッキーはラフロイグの代理店権を失い、苦しい裁判になりました。激怒したマッキーはラフロイグの水の供給を妨害するまでに至り、その結果水の供給を回復させるために2度目の裁判が行われることとなりました。 最終的に、マッキーはラガヴーリン蒸溜所内にラフロイグのレプリカを建設しモルトミルと名付けました。更に、ラフロイグと全く同じウイスキーを確実に造るためにラフロイグの蒸留責任者を引き抜きましたが、当然ラフロイグと同じものではありませんでした。また、ラガヴーリンの味でもありませんでした。 モルトミルのウイスキーは、ホワイトホースやマッキーズ・エンシェントスコッチをはじめとする社内のブレンドに使用され、ラベルにはモルトミルの名前が明記されていました。歴史家の知る限り、シングルモルトとして瓶詰めされたことはありませんでした。 最終的にモルトミルは1962年に閉鎖され、設備はラガヴーリンに組み込まれました。最後まで残ったモルティング設備は1974年に閉鎖され、VIP客用のレセプションセンターにリフォームされました。また、モルトミルで最後に製造されたウイスキーのサンプルボトル1本がラガヴーリンのビジターセンターに展示されています。