【現地レポート】「BUSHMILLS CASK DISCOVERY BAR」にて“樽を飲む。”を体感!
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「BAR LIVET」のオーナーを務める静谷 和典さんは、ウイスキー文化研究所主催のウイスキーコニサー資格試験、最難関ともいわれるマスター・オブ・ウイスキーを当時最年少で取得しました。2019年には2店目となる「新宿 ウイスキーサロン」を開店し、2021年にはCT Spirits Japan カクテルコンペティションで優勝するなど、バーのオーナーとしてもバーテンダーとしても幅広く活躍されています。
今回Dear WHISKYは、ウイスキーの魅力を広めるために様々な活動に取り組まれる静谷さんへインタビューさせていただきました!
独占インタビューの第1弾である本記事では、静谷さんのこれまでの歩みから、マスター・オブ・ウイスキー合格までの裏話、BAR LIVETと新宿 ウイスキーサロンへのこだわりについて伺いました!ぜひ最後までお楽しみください!
静谷 和典氏。株式会社ロイヤルマイル 代表取締役。2014年に「BAR LIVET」を開店し、2019年には「新宿 ウイスキーサロン」を開店。マスター・オブ・ウイスキーを史上最年少で取得し、ウイスキー専門誌『Whisky Galore(ウイスキー・ガロア)』の公式テイスターを務める。CT Spirits Japan カクテルコンペティション2021では日本チャンピオンに輝き、SNSの総合フォロワー数は70万人を数え、「しずたにえん」としてインフルエンサーの顔も持つ。 |
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新宿三丁目から徒歩2分の場所にある「BAR LIVET」は2014年にオープンしました。店名のLIVETは世界的に人気のあるウイスキーのブランドである「ザ・グレンリベット」から名付けられていて、店内には貴重な「ザ・グレンリベット」のボトルが並んでいます。
住所 | 東京都新宿区新宿3-6-3 ISビル4F |
電話番号 | 03-6273-2635 |
営業時間 | 18:00〜26:00 (L.O. 25:30) |
公式HP | https://www.royalmile.tokyo/bar |
公式SNS | ・Facebook ・TikTok (InstagramとTikTokでは、お店で味わうことができるカクテルリストをご覧いただけます!) |
バーの詳細については、以下のBAR紹介ページをぜひご覧の上、ぜひ訪れてみてください!
「新宿 ウイスキーサロン」は2019年に静谷さんがオーナを務める2軒目のバーとしてオープンしました。数多くのジャパニーズウイスキーを揃えていることが特徴で、『和』を感じられるオリジナルカクテルもお楽しみいただけます。
住所 | 東京都新宿区新宿3-12-1 佐藤ビル3階 |
電話番号 | 03-3353-5888 |
営業時間 | 18:00〜26:00 (L.O. 25:30) |
公式HP | https://www.royalmile.tokyo/bar |
公式SNS | お店で味わうことができるカクテルはこちらからご覧ください! ・TikTok |
Dear WHISKY:
まず、静谷さんのご経歴から伺いたいと思います。静谷さんはどのような学生時代を過ごされていたのでしょうか?
静谷さん:
高校時代に陸上競技の競歩でインターハイへ出場しました。ウイスキーとは直接関係はないのですが、振り返るとその成功体験が今の自分を形作る1つの礎となっているなと感じています。
Dear WHISKY:
その経験がどのように今に生きているとお考えですか?
静谷さん:
私は栃木県出身なのですが、県大会で競歩はかなりのマイナー種目で、努力すれば誰でも優勝できるかもしれないといわれるような種目でした。そこで努力して実際にインターハイに出場したという経験から、努力で埋められるものは割とあると気がつくことができました。
ウイスキー検定全国1位やブラインドテイスティング大会1位を取ることができたのも、努力の積み重ねの結果なので、高校時代に気づいた「努力の大切さ」や「努力することの意味」が今に生きていると思いますね。
Dear WHISKY:
大学時代はどのように過ごされていたのでしょうか?
静谷さん:
大学生時代はアパレル販売のアルバイトを頑張っていました。大学卒業後はそのまま正社員にもなり、月別個人販売実績で全国2位にもなりました。
Dear WHISKY:
そこからどのようなきっかけでバーテンダーになられたのでしょうか?
静谷さん:
アパレルで働いている時から、仕事終わりにバーボンウイスキーのブッカーズでよく晩酌していました。また、当時は横浜で働いていたのですが、横浜から自宅までの帰り道に1日1駅、今まで降りたことのない駅に降りてみて、街を探索することが好きでした。
それぞれの街のお酒文化に触れるうちに、バーテンダーになりたいと思うようになりました。
Dear WHISKY:
アパレル販売員もバーテンダーも接客業ですが、違いはありましたか?
静谷さん:
アパレルでは1,2時間一生懸命に接客したとしても、1着も売れないことがあります。一方、バーに来ている人たちは基本的にお酒を飲みに来ていて、お酒を飲まない人でもソフトドリンクやノンアルコールカクテルなど、お客様に確実に1杯は飲んでいただけます。
自分が接客したお客様に必ず自分の商品を楽しんでいただけるということが、バーテンダーという仕事に魅力を感じた理由の1つですね。
Dear WHISKY:
最初のバーテンダーのお仕事はどのように見つけたのですか?
静谷さん:
当時流行っていたmixiというウェブサイトに、バーテンダーハローワークというものがありました。そこでバーテンダーを募集していた西麻布のバーへ面接に行き、即日採用が決まりました。
Dear WHISKY:
当時からバーにはよく行かれていたのですか?
静谷さん:
学生時代に少し行っていましたが、オーセンティックバーとカジュアルバーの違いも分かっていなくて、本格的にバーについて勉強を始めたのはバーテンダーとして働き始めてからです。
Dear WHISKY:
そちらのバーで印象に残っていることはありますか?
静谷さん:
実は働き始めて数ヶ月でクビになってしまいました。
Dear WHISKY:
クビですか!?
静谷さん:
クビになった経緯には私にも非があるのですが、当時はとても悔しかったですね。しかし、今思えばこの経験をして良かったなと思います。
当時の店長がウイスキーエキスパートという資格を持っていたこともあり、この経験があったからこそウイスキーを本格的に勉強するようになりました。
Dear WHISKY:
西麻布のバーの次はどこで働かれたのですか?
静谷さん:
西新宿にあるバーで働きました。
Dear WHISKY:
その後はどのようにバーテンダーとしての技術を身につけていったのでしょうか?
静谷さん:
西新宿のバーでは、グレンリベット12年の水割りとハイボールが完璧に作れないと、他のカクテルを作らせてもらえませんでした。
そのため、閉店後朝4時ごろから8時、9時まで先輩方に付き合ってもらい、指の皮が剥けるまでバースプーンを回して練習しました。
Dear WHISKY:
完璧なハイボールですか!そのハイボールはどのようなものですか?
静谷さん:
簡単な目安としては、グレンリベットの特徴が感じられる、すりおろしリンゴのような香りがするハイボールです。完成させるには、氷を含めてしっかりと混ぜることができる必要があります。
Dear WHISKY:
どのくらいでお店を任せてもらえるようになりましたか?
静谷さん:
3ヶ月ほどたった頃に、お店の周年イベントがあったのですが、その時にメインバーテンダーを任せてもらいました。周年イベントという事もあり、とても忙しかったのですが、無事にやりきることができ、嬉しかったのを今でも覚えています。
マスター・オブ・ウイスキーは、ウイスキー文化研究所が行うウイスキーコニサー資格認定試験の最高峰の資格です。ウイスキーコニサー資格認定制度には3段階あり、第1段階の「ウイスキーエキスパート」に始まり、「ウイスキープロフェッショナル」、そして最終段階の「マスター・オブ・ウイスキー」と進みます。
マスター・オブ・ウイスキーは合格者が年間数人のみの最難関試験で、2010年に始まりましたが、合格者は2024年5月現在17人となっています。
Dear WHISKY:
静谷さんは最年少でマスター・オブ・ウイスキーを合格されていますが、どのような経緯がありウイスキーコニサー試験を受け始めたのですか?
静谷さん:
当時はウイスキー文化研究所が行う資格試験の中で、ウイスキープロフェッショナルが一番上の試験でした。最初に勤めたお店の店長を越したかったという想いもあり、毎日猛勉強したんですよ。そうしたら、ウイスキーエキスパートもプロフェッショナルも一発で合格することができました。
Dear WHISKY:
ウイスキープロフェッショナルはどのような試験ですか?
静谷さん:
ウイスキープロフェッショナルは、当時過去問も少なく合格率が低い難しい試験で、ホテルの壇上で合格者には表彰状が授与されるほど合格者は希少な存在でした。その試験にも最年少で合格することができました。
Dear WHISKY:
そこからマスター・オブ・ウイスキー合格に至るまでの経緯を教えてください。
静谷さん:
実は最初にマスター・オブ・ウイスキー受験したときから合格に至るまでには9年間も掛かりました。マスター・オブ・ウイスキーが始まって第1回目の試験から受けていたのですが、4回目の受験でやっと合格することができました。
Dear WHISKY:
マスター・オブ・ウイスキーの試験では一次試験で論文が課されると思いますが、今までどのような論文を書かれましたか?
静谷さん:
最初はウイスキーの樽について書きました。当時25歳で、一次試験は合格することができましたが、二次試験の筆記試験と口頭試問、ブラインドテイスティングを通過することができませんでした。次に書いた論文は、パブの可能性についてでした。
Dear WHISKY:
なぜパブをテーマに選ばれたのでしょうか?
静谷さん:
日本では、お酒を楽しむためにバーへ行くことは敷居が高いと捉える人も多いと思います。しかし、スコットランドやアイルランドでは、パブが老若男女に親しまれています。パブは、パブリックハウスの略で公共の場所という意味合いを持つ言葉なので、お酒を飲むための場所だけではなく、言葉の通り、仕事が終わったらパブ集合するといった待合場所のような文化があります。
そういったパブの文化を日本に構築することによって、ウイスキーへの間口が広くなり、ウイスキーと触れ合える場所が増えるのではないかと考え、その可能性について書きました。
Dear WHISKY:
そのアイデアはどこから着想を得ましたか?
静谷さん:
アイルランドのダブリンまで3泊5日で弾丸旅行に行き、その旅行を経て書き上げました。結果は残念ながら不合格でしたので、後日ウイスキー文化研究所代表の土屋さんと会う機会があった時に理由を聞いてみると、「想いは伝わるけどあれは旅行記だよ」と言われてしまいました(笑)
Dear WHISKY:
3回目の受験から月日が開きますが、その後再挑戦に至るきっかけはありましたか?
静谷さん:
もう取れないのではないかと思い諦めた時期もありましたが、再挑戦したきっかけは、土屋さんからウイスキー専門誌であるウイスキーガロアのテイスターチームに入らないかとお誘いを受けたことでした。当時のテイスター陣はウイスキー界の名だたる人々ばかりだったのですが、当時32歳の若輩だった私に声をかけていただき、テイスターとして座談会などをするなかで、マスター・オブ・ウイスキーに対する炎が燃え始めました。
せっかく任命していただいたにも関わらず、マスター・オブ・ウイスキーぐらいの知識がないと周囲のテイスターの方々対して失礼だなと思いましたし、合格することが土屋さんに対する誠意だと思い、再度挑戦することにしました。
Dear WHISKY:
マスター・オブ・ウイスキー合格に向けてどのようなことをしましたか?
静谷さん:
まず、ウイスキー検定3級、2級、1級を合格しました。実はこの過程でトータルで5回、全国1位の点数を取っています。
Dear WHISKY:
5回もですか!それはどのように達成されたのですか?
静谷さん:
ウイスキー検定3級、2級を満点で合格して全国1位となり、ウイスキー検定1級も初挑戦で全国1位の97点で合格しました。しかし100点を狙っていたので、もう一度受験して98点、その次が99点でした。両方とも全国1位だったので、5回全国1位になりましたが、やはり満点は難しかったですね。
Dear WHISKY:
なぜ合格するだけではなく、全ての級において満点を目指していたのですか?
静谷さん:
年間数人しか合格しないマスター・オブ・ウイスキーを取るには、これぐらいしないとダメだと思っていました。合格のためにやれることは全てやろうという想いで挑戦していました。
Dear WHISKY:
二次試験で課されるブラインドテイスティングは、どのように対策されましたか?
静谷さん:
様々なブラインドテイスティング大会に出場しました。
まずは東京で開催されたウイスキーフェスティバルで、初めてブラインドテイスティング大会に挑戦しました。
結構な人数が参加している1回戦では、参加者内で一番高い正答率で通過することができました。その時は「初挑戦で優勝できるかも」と、嬉しかったですね。そこから決勝戦まで時間があったので、決勝戦対策として、イベントブースにて出題されそうなウイスキーを片っ端から飲んでいきました(笑)。その結果、酔っ払ってしまって決勝戦では惨敗でした。もし1発勝負だったら優勝できてたかもしれないですね。
Dear WHISKY:
他にはどのような大会に出場されましたか?
静谷さん:
長野県の長和町で行われるブラインドテイスティング大会にも出場しました。これは山の上の屋外会場で行われるため、霧がすごくて寒く、かつジビエのブースから焼肉の匂いも結構あって、テイスティングには難しい会場でした。さらに、大会2日前に人生で初めて片鼻が蓄膿になり、片鼻しか使えなくなってしまいました。また、前大会から僕は何も学ばず、会場へ出発する前日から当日にかけてBAR LIVETで、33杯のテイスティングを3回、合計99杯飲んでから向かいました(笑)
結果はなんと優勝でした。そして次の年も挑戦して2連覇することができました!
Dear WHISKY:
2連覇とはすごいですね!その後に受けたマスター・オブ・ウイスキー試験はいかがでしたか?
静谷さん:
ウイスキーカクテルについて書いた論文が一次試験を無事通過し、最終審査のブラインドテイスティングも合格することができました。
その結果、最年少でのマスター・オブ・ウイスキー取得に至りました!
Dear WHISKY:
ブラインドテイスティングの際に静谷さんが大切にしていることがあれば教えてください!
静谷さん:
絶対に間違えないウイスキーというのを自分の中で決めて、寸前に試しておくことですね。オフィシャルのボトルでも味が変わったり、封開けの時期によっても味は変化するので、例えばザ・グレンリベット12年でいうと、色々な段階のザ・グレンリベット12年というのを当てられるようにしておきます。それを基準にしてテイスティングしています。さらに、フルーティーなスペイサイド1種類、スモーキーなアイラ1種類など、絶対間違えないウイスキーを決めておくと結構有利ですね。
Dear WHISKY:
では、銘柄が分かっている場合のテイスティングはどのように行っていますか?
静谷さん:
今まで自分が作ってきたテイスティングノートが、ウイスキーを表現する様々な言葉の格納庫のような感じで、ある種の武器になっていますね。また場数を踏んだことによって最近は、香りを嗅いだ瞬間にこのパターンだなというのは何となく分かるようになりました。
Dear WHISKY:
たくさん経験を重ねることが大切なのですね!ちなみに、静谷さんは場数を重ねる以外にどのような練習をされてきましたか?
静谷さん:
テイスティングのトレーニングをしていた頃は、ダイソーで100円のスパイス全部買って嗅いだり、 スーパーのフルーツを嗅いでみたり、スターバックスやドトールのスイーツをとりあえず食べてみたりして、香りや名前を覚えていきました。
Dear WHISKY:
静谷さんのテイスティングノートでは、ウイスキーの香りや味わいがそのフルーツやスイーツになぞらえて書かれているのですか?
静谷さん:
そうですね。あとは、あまり抽象的なことは書かないようにしてますが、思い浮かんだ情景を書く時もありますね。例えば、麦が感じられるような穏やかな香りだったとするならば、「長閑な田園地帯」と表します。
Dear WHISKY:
BAR LIVETと名付けた由来を教えてください!
静谷さん:
毎日ザ・グレンリベットのハイボールを練習していたときに、ザ・グレンリベットとはどんなお酒なのか気になり書店で調べたことがありました。
すると、「グレンリベット」とはゲール語で「静かな谷」という意味で、まさに自分の「静谷」という名前と同じだと驚きました。
その時から、将来は「グレンリベット」というお店を出すことを目標としていたので、開店すると決めたときにはBAR LIVETと名付けました。しかし、実際にグレンリベットを店名とすることは結構勇気がいることで、最初はその名に恥じないようにひたすら頑張っていたことを覚えています。
Dear WHISKY:
BAR LIVET 開店当時はどのような想いでお店に立っていましたか?
静谷さん:
当時は、自分のザ・グレンリベットのハイボールを飲んでいただければ、ウイスキーが苦手な人でも絶対にウイスキーを好きになってもらえる、という自信を持ってやっていましたね。
Dear WHISKY:
ザ・グレンリベットにちなんだ様々な取り組みをされていますが、具体的にはどのようなことをされてきたのでしょうか?
静谷さん:
オープン当初よりザ・グレンリベットに関連したセミナーを開いてきましたが、2016年にはザ・グレンリベットのベストアンバサダーをスコットランドで受賞しました。
Dear WHISKY:
BAR LIVETに数あるボトルの中で、一番思い入れがあるボトルはどれですか?
静谷さん:
ザ・グレンリベット・ファウンダーズリザーブの非売品ですね。1824年にちなんでおそらく1824本しかない、とても貴重なものです。
2015年にザ・グレンリベットのベストアンバサダーをスコットランドで受賞させていただいたのですが、その際にいただいた景品です。
Dear WHISKY:
2024年2月21日から29日まで、ザ・グレンリベットの200周年とBAR LIVETの10周年を記念したWアニバーサリーイベントが開催されましたが、どのような経緯でこのコラボが実現したのですか?
静谷さん:
ザ・グレンリベットを国内で展開するペルノ・リカール・ジャパンさんも、私たちBAR LIVETと同様にザ・グレンリベット200周年に合わせて何かやりたいと考えてくださっていたのでコラボに至りました。ザ・リッツ・カールトン東京の「ザ・バー」ヘッドバーテンダーである和田健太郎さんをはじめ、5人の著名なバーテンダーの方々をゲストバーテンダーに迎えました。
これがゴールになるのではなく、ペルノ・リカールさんとのコラボはこれからも続けていきたいと思います。
Dear WHISKY:
2店舗目である新宿 ウイスキーサロンを開くにあたり、どのようなきっかけがありましたか?
静谷さん:
BAR LIVETだけだった時から、セミナーなどのイベントをやることが好きでした。しかし、セミナーをやるにしてもカウンター席しかなく席数も少なかったので、同じセミナーを3回行うこともあり、かなり大変でした。営業中も満席になってしまいお客さまにお帰りいただくことも多かったので、BAR LIVETに近くて、かつ店内が広いところでお店をやりたいと思ったのがきっかけですね。
Dear WHISKY:
新宿 ウイスキーサロンのコンセプトを教えてください!
静谷さん:
BAR LIVETがスコッチウイスキーにフォーカスしているのに対して、新宿 ウイスキーサロンはジャパニーズウイスキーや日本のクラフト蒸溜所を応援していけるお店にしたいというコンセプトでやっています。
Dear WHISKY:
ジャパニーズウイスキーや日本のクラフト蒸溜所を応援していきたいと思ったきっかけは何でしたか?
静谷さん:
国内にあるクラフト蒸溜所で実際に製造されている方は、私と同世代か、それより若い方が多いんですよ。そういう理由もあり、蒸溜所を見学させていただいた時には全国に友人が増えたような感覚になり、その友人を応援していきたいなと思ったのがきっかけです。
Dear WHISKY:
新宿 ウイスキーサロンをどのようなお店にしていきたいですか?
静谷さん:
日本全国、または海外からも人が集まっている場所が新宿だと思うので、たくさんの方に新宿 ウイスキーサロンに来ていただいて、 ジャパニーズウイスキーを飲んでいただき、さらには、実際に国内のウイスキーの蒸溜所に足を運んでいただくきっかけとして欲しいです。
新宿 ウイスキーサロンをウイスキーのアンテナショップのような存在にして、ジャパニーズウイスキーの魅力を世界へ発信していきたいと思っています。
以上、「BAR LIVET」「新宿 ウイスキーサロン」オーナーの静谷さんへのインタビュー第1弾でした。静谷さんの学生時代のご経験やマスター・オブ・ウイスキー合格までの道のりからは、何事も頂点を目指して努力を重ねる姿勢と、カクテルやウイスキー文化の普及への熱い想いが感じられました。
第2弾では、静谷さんのウイスキーへの想いやインフルエンサーとしての一面、これから挑戦したいことなどを紹介します!他では読めない貴重なインタビューとなっていますので、ぜひ第二弾もご覧ください!