ピートが取れなくなる!?スコッチウイスキー業界の今
ウイスキーの複雑で繊細なフレーバーを生み出す「ピート(peat)」。ピートとは、「泥炭(でいたん)」を意味します。このピートが現在、環境保護の取り組みの中で、かつてないほどの熱い注目を浴びていることを知っていますか? スコッチウイスキー業界は、ウイスキーの味を支えるピート利用の正当性の証明や、泥炭地の保全のため大規模な企業・業界努力の必要性に迫られており、よりサステイナブルなウイスキー造りへの転換が加速しています。
本記事では、ウイスキー生産における驚くべきピートの役割と、ピートが環境保護に重要である理由、そしてピート採掘が引き起こす環境リスクとウイスキー業界との関係を、最新の国際的動向を踏まえて説明します。
ピートとは何か
ピートとは、植物の遺骸が堆積したもの
「ピート」とは、泥炭と訳されます。その正体は、土壌中の植物の遺骸が十分に分解されずに堆積し、部分的に炭化したものです。ピートの形成には、何百年以上もの年月が必要とされており、知られざる有限資源であると言えます。
ピートの原植物は、コケ類やシダ類などの水生植物や、海藻など多岐にわたります。とりわけ、ヘザーの遺骸が堆積したピートが、大部分を占めています。
ピートがつくられるのは、冷涼な湿地帯です。植物遺骸の量に比べて、土壌の微生物による分解作用が十分ではないために、ピートが多くつくられます。中でも、スコットランドの土壌には特にピートが多く、日本では北海道など一部のエリアにて形成されています。
参考:古賀 邦正「最新 ウイスキーの科学 熟成の香味を生む驚きのプロセス」(ブルーバックス 2018年)
燃料として利用
ドロドロとした見た目からは想像が難しいですが、ピートは石炭の一種ですので、燃料として燃やすことができます。ピートが豊富に入手できるスコットランドでは、古くから、乾燥させたピートが燃料として使用されてきました。特に、アイラ島をはじめとしたヘブリディーズ諸島では、木が比較的育ちにくく、料理や暖炉など、ピートが重要な熱源として、日常生活に取り入れられていました。
ウイスキーにとってのピート
麦芽の乾燥に、ピートが熱源として使用される
ウイスキーの原料は、大麦・水・酵母のわずか3つです。ウイスキーの仕込み段階では、まず最初に大麦を水に浸し、発芽させることで、その後のアルコール発酵に必要な酵素を大麦の中につくらせます。しかし、発芽が進みすぎると、次の糖化・発酵工程に必要な大麦のデンプンまで消費されてしまうため、適切なタイミングを見計らい、発芽した大麦を再度加熱・乾燥させるのです。
大麦を加熱・乾燥させる際の熱源として、ピートを燃やすことがあります。泥炭であるピートは乾燥状態でも20 ~ 25%の水分を含んでいるため、ピートを燃やすと煙たい香りが発生します。この燻製状態によって、発芽乾燥された大麦にじっくりと煙りが吸収され、スモーキー(ピーティー)なウイスキーが造られるのです。
参考:古賀 邦正「最新 ウイスキーの科学 熟成の香味を生む驚きのプロセス」(ブルーバックス 2018年)
スモーキーなフレーバーを生み出すピート
こうした製麦の工程には、繊細なコントロールが必要とされるため、通常「モルトスター」と言われる専門の製造業者がウイスキーの蒸溜所に麦芽(発芽した大麦の種子を乾燥させたもの)を提供します。スモーキーなフレーバは、揮発性フェノール化合物の作用によるものであり、フェノール値の強さ=スモーキーフレーバーの成分値の強さとなります。
麦芽のピーティーの強さは大きく3段階に分けられ、フェノール値に応じて、ヘビー(30~50ppm), ミディアム(10ppm), ライト(2.5ppm以下)と呼ばれています。
ピートは、スコッチウイスキーの特徴?
スコッチウイスキーは、ジャパニーズや他の国のウイスキーと比べてピートの強い製品が多いことで知られています。もちろん、スコッチウイスキーの全てがスモーキーではなく、ノンピート(大麦乾燥の際に、ピートを使用していないウイスキー)ウイスキーも多く飲まれていますが、一般的にはスコッチ=スモーキーという印象が持たれています。
とりわけ、アイラ島の土壌を形成するピートは、ウイスキー造りに最も適していると言われています。アイラ産ウイスキーであるアードベッグ、ラフロイグ、ラガヴーリンなどは、クセになるピーティーウイスキーの代表銘柄として、多くのウイスキーファンに愛されています。
ピートと環境保護
腐敗した植物で形成された特殊な湿地帯「ピート」は、環境保護においても重要な役割を果たしています。
炭素の貯蔵庫!?
ピート地帯では、水が低酸素状態、つまり酸素不足を生み出し、植物の腐敗を止め、それによって膨大な量の炭素を閉じ込めます。自然が生み出した、炭素の貯蔵庫なのです。イギリスにおいては、ピートに含まれている炭素量は、約30億トンにも及びます。これは、イギリスすべての森林に含まれている炭素量の20倍に相当します。
地球全体で見ると、これらのピート地帯は世界の陸地面積のわずか3%しか占めていませんが、世界の土壌炭素の約25%(全世界の森林に含まれる炭素の2倍)を貯蔵しています。
水の浄化、洪水対策、動植物の生息地など、生態系を支えるピート
他にも、ピート地帯は、水の浄化や洪水対策など、私たちの生活を支えているほか、希少種や絶滅危惧種の生息地としても重要な役割を果たしています。
ピートの採掘が引き起こす環境リスク
それでは、ピートを採掘することによって、どのような環境リスクが生じるのでしょうか?
炭素の放出
まず、天然の炭素貯蔵庫であるピートが損傷すると、炭素は温室効果ガスとして直接大気中に放出されます。泥炭地は、大気中に存在している炭素と同じ量の炭素を貯蔵しているとも言われ、その採掘には細心の注意が必要とされます。採掘後に再湿潤化作業を行うことで修復が可能なものの、採掘による環境への影響は残ります。
次に、ピートの採掘によって土地が浸食され、土壌が不安定になるほか、未採掘のピートが劣化する恐れがあります。新しいピートの形成が妨げられ、地球上の炭素貯蔵量が低下するほか、希少な生態系の破壊が懸念されています。
ピートの商業利用による影響
ピート資源は、商業にも多く利用されています。園芸産業や燃料としての利用が大部分を占めており、こうしたピートの商業利用によって、これまでイギリスの泥炭地の約80%が損傷を受けたとされています。これらの泥炭地は、修復によって健全な状態に戻すことが可能ですが、すでに空気や水中に失われた炭素を再隔離するには数千年もの年月がかかります。
今日まで、世界の泥炭地の約15%が、土地開発や農業利用のために破壊されており、かつてピートの中に蓄えられていた温室効果ガスが大量に放出されているのです。
ウイスキー業界が面している課題
スコッチ=ピートという消費者の認識
ピートの商業利用に関して、ウイスキー業界が他の業界と比べて占める割合はごく僅かです。スコットランドの位置するイギリスにおいては、年間発掘されるピートの総量のうち、ウイスキー生産に利用されているものは約1%にすぎません。
しかしながら、ピート以外の代替資源への切り替えが比較的容易な他業界と比べ、ウイスキー造りにおいてピートの代わりとなる燃料は開発されておらず、スモーキーなウイスキーの製造にはピートの使用が不可欠と言えます。ウイスキー業界にとって、ピートの完全な使用停止は難しいでしょう。
また、スコッチウイスキー=ピートという強力なイメージが、消費者に広く認知されていることも特徴です。ピート利用が、製品のフレーバーの特徴として宣伝されると、実際の環境への影響の大きさに関係なく、消費者は「ピート採掘による環境破壊が行われている」と感じ、ウイスキー銘柄や業界全体をネガティブに捉える可能性があります。
ピートが手に入らなくなる?
さらに、ピートの過剰な採掘と環境規制へ向けた動きは、ウイスキー業界にとってピート資源の入手が難しくなる可能性を示唆しています。現在、ピート採掘に関する規制はありませんが、環境保護団体からは規制採択を求める声があがっています。もし新たな規制が導入されれば、その内容に関係なく、少なくとも短期的にはウイスキー業界に深刻な影響を及ぼすでしょう。このような場合、同様の規制が存在しない他国で、スコットランドに代わってピートウイスキーの生産が主要となる可能性も考えられます。また、ピート採取と使用に関連するコストが今後高騰すれば、ウイスキーメーカーが必要な量を調達することが難しくなるでしょう。
このため、ウイスキー業界には、ピートの使用を控えるか、泥炭地の保護と再生に積極的に取り組むよう、圧力がかかっています。
ピート保護の取り組み
泥炭地の保護を求める動きは、近年ますます活発になっています。2021年11年に行われた国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)では、環境専門家や多くの国の政府代表が、ピート資源の過度な採掘を中止し、世界中のピート地帯の保全を奨励する政策の採用を勧告しました。
ピートの保全には、大きく3つのアプローチが取られています。未破壊のピート地帯の保護・排水されたピート地帯の再湿地化・気候に配慮したピートランド管理もしくは再湿地化が難しい場合の適切な対応です。これらを組み合わせることで、効果的なピート保全が可能となります。
また、ピート地帯の復元によって、年間で3億9400万トンの二酸化炭素相当物質の放出を防ぐことができるとされています。この二酸化炭素量は、オーストラリアの年間排出量を上回る量です。
スコットランド政府
スコットランド政府は、ピートの保全活動に積極的に取り組んでいます。スコットランドでは、国土の約20%をピート土壌が占め、約1,600億トンの炭素を貯蔵していると推定されている一方、これらの泥炭地の約80%が劣化していると報告されています。
スコットランド政府は2030年までに、25万ヘクタールの泥炭地を復元するために2億50万ポンドの投資を行うと発表しました。ピート商業利用の規制については十分な支持を得られていませんが、ピート使用の完全禁止に向けた第一歩として、近い将来、ピート販売を制限する規制が導入される可能性があります。
スコッチウイスキー業界
ウイスキー業界もまた、ピート採掘に係る環境問題を深刻に受け止めており、その保全活動に大きく貢献しています。
並行して、スコッチウイスキー協会(SWA)を中心に、ネットゼロ排出量への取り組みやクリーンエネルギーへの転換が進行中です。ノックニーアン、ブルックラディ、グレンガイルなど一部の蒸溜所は、既にネットゼロを達成したり、その途上にあるなど、先駆的な取り組みが国際的に高く評価されています。
スコッチウイスキー協会(SWA)
スコッチウイスキー協会(SWA)は、スコットランドの国立泥炭地計画と提携を結び、ウイスキーの生産者にサステイナブルなピート利用を教育するほか、業界が2035年までにネットゼロの炭素排出を達成するための取り組みを牽引しています。
この取り組みには、ピートの使用効率向上の技術開発が含まれており、ブロック全体を掘り出すのではなく、ピートを粉砕するなどの方法がとられています。また、ピートの代替資源を模索し、泥炭地の復元に資金を提供することも検討されています。
SWAは、ピートの使用、環境への取り組み、泥炭地の管理に関して、スコットランド政府と協力関係を築いています。SWAの活動は、ウイスキー産業が持続可能な未来に向けて前進するために、重要な役割を果たしています。
出典:https://www.scotch-whisky.org.uk/insights/sustainability/caring-for-the-land/
ビーム・サントリー社
泥炭地の保全で先駆的な取り組みを行っているのが、ビームサントリーとその親会社であるサントリーホールディングスです。
同社は、2021年に泥炭地の共同保全プロジェクトである「Peatland Water Sanctuary」を開始しました。2030年までに400万米ドル以上を投資し、1,300ヘクタールの泥炭地保全を目指しています。さらに、2040年までにサントリーグループで使用する泥炭の2倍の量を生み出すことができる面積の泥炭地保全を行うと発表しています。開発や採掘のために排水されて乾燥化した泥炭地の水位を上げて湿潤な状態に戻し、泥炭の堆積を促すと共に、泥炭湿原ならではの植生を回復させて泥炭地を保全する計画です。
出典:https://www.suntory.co.jp/news/article/14014.html
他にも、泥炭と生物多様性についての教育にも取り組んでおり、アイラ島のラフロイグ蒸溜所にて泥炭地の回復トレーニングイベントを開催しました。同様のイベントは、今後スコットランド全土にて行われる予定です。
ディアジオ社
アルコール飲料業界の大手 ディアジオ社は、2016年に当社が所有するラガヴーリン蒸溜所200周年記念基金の一環として、アイラ島の700エーカーに及ぶ泥炭地の復元プロジェクトに資金提供を行いました。
ディアジオ社は、2030年までに同社保有の28のシングルモルト蒸溜所全てをネットゼロにするとのゴールを掲げており、既にオーバン蒸溜所をはじめとした多くの蒸溜所で、バイオ燃料への切り替えに成功しています。
また、世界で最も売れているウイスキー「ジョニーウォーカー」(ディアジオ社所有)も、英国王立鳥類保護協会 (スコットランド)の泥炭地再生プロジェクトを支援するなど、ピート地帯の保全の重要性を訴えています。
参考:https://www.johnniewalker.com/en/nextsteps/peatlands/
最後に
ピート(泥炭)は天然の炭素貯蔵庫であり、生態系の保護の観点からその保全が一層重要になっています。過剰なピートの採掘が環境への甚大な悪影響をもたらすことが明らかになっており、スコッチウイスキー業界は、実際のピートの利用量は比較的少ないものの、ピートがウイスキー生産に欠かせないことから、大手企業を中心に積極的な保全活動を展開しています。
しかし、将来的にピートの使用を禁止する法令が導入された場合、ウイスキー生産への影響は避けて通れないでしょう。環境保全に積極的な蒸留所は特に若い世代から支持を受けており、今後ますます注目を浴びることが予想されます。
ピートを含む世界的な環境保護への動きと、ウイスキー業界がこれらにどのように対応していくのか、今後の動向に注目です。