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- ウイスキー基礎知識
ウイスキーの特徴や個性を理解するためには、ウイスキーの歴史を把握する必要があります。
なぜウイスキーを樽で熟成するようになったのか、スコッチウイスキーに特有のスモーキーな香りがつく理由も歴史を紐解いていくことで納得できるはずです。
また、ウイスキーが日本に伝来したのは1853年といわれていますが、広く飲まれるようになったのは1900年代以降であり、日本におけるウイスキーの歴史はけっして長いものではありません。
この記事ではスコッチウイスキーの歴史と日本で親しまれていく経緯も含めて紹介、これまで続いてきた、これからも続いていくウイスキーの歴史を巡る旅へとご案内いたします。
この記事のポイント
ウイスキーも含めた蒸留酒の起源は未だ解明されておらず、紀元前3,000年のメソポタミア文明の頃から存在していたといわれています。
最古の記録はアリストテレスが残したブランデーに関する記述ですが、それ以前の記録が残っていないため正確な起源は不明です。
一方で、ウイスキーの起源は1169年のアイルランド説と1494年のスコットランド説があります。
イングランドがアイルランドに出兵した際に、すでにウイスキーが飲まれていたといわれていますが、記録がありません。
明確な証拠が見つかれば、アイルランド説がウイスキーの起源になります。
1494年のスコットランド説は証拠が見つかっており、スコットランド王室でウイスキーが製造され、飲まれていた記述が残っています。
ウイスキーの起源もいまだ謎に包まれていますが、一般的に飲まれるようになったのは15世紀頃です。
それでは、スコッチウイスキーの歴史について詳しく解説します。
出来事について年表形式でまとめました。
年度 | 出来事 |
1494年 | スコットランド王室の出納記録にウイスキーが初めて記載される |
1644年 | ウイスキーに対する初めての課税がおこなわれる |
1707年 | スコットランドがイングランドへ併合 |
1713年 | イングランドの麦芽税がスコットランドに拡大 |
1823年 | 酒税法の改正により税率が下げられる |
1824年 | ザ・グレンリベット蒸留所が政府公認の蒸留所に指定される |
1831年 | イーニアス・コフィーにより連続式蒸留器が開発される |
1853年 | アンドリュー・アッシャー二世がブレンデッドウイスキーを販売開始 |
1902年 | 日英同盟により日本にスコッチウイスキーを輸出 |
1963年 | グレンフィディックがシングルモルトウイスキーとして販売される |
1494年のスコットランド王室の記録に、スコッチウイスキーの出納記録が残されており、15世紀ごろには王族を中心にたしなまれるお酒となりました。
当時は薬酒として飲まれており、豪族や農民の間でも製造されるようになります。
農民の間でウイスキーが知られるようになると、余剰の大麦を換金する手段としてウイスキーが大量に製造されるよようになりました。
1644年にスコットランド議会において、ウイスキーを含むスピリッツに対して初めて課税されるようになります。
しかし、ウイスキーの課税が本格化するのは1707年以降のことであり、この時代のウイスキーは私たちが知る琥珀色をした香り豊かなウイスキーではありません。
1707年にスコットランドはイングランドに併合されます。
イングランドへの併合により麦芽税がスコットランドに広がったことにより、ウイスキーに対する課税はさらに強化。
これを嫌うウイスキーの製造業者は山奥に逃れ、密造を開始することになりました。
これが密造時代の始まりであり、後に現在のウイスキー製造における基礎を作りました。
まずは、スコッチウイスキー特有のスモーキーな香りですが、これはこの時代から始まったピート(泥炭)による乾燥が理由です。
大麦麦芽を乾燥させる燃料にスコットランドの自然環境では無尽蔵にあるピートを使うことで、製造コストを引き下げられました。
コストの都合により発生したスモーキーな香りですが、アイラモルトをはじめとするスコッチウイスキーには欠かせないものとなっています。
次に、ウイスキーを樽により熟成させる工程は、密造の際の隠し場所にシェリー酒の空き樽を選んだことが始まりです。
シェリー樽で長期間保存したウイスキーは、シェリー酒が持つ芳香で甘い香りが付与され、私たちがよく知るウイスキーになりました。
樽熟成は密造時代に発見された偶然による工程ではありますが、この時代によってスコッチウイスキーの製造方法が確立したことは事実といえます。
1823年の酒税法の改正によって、ウイスキーの密造時代は終わりを迎えます。
ウイスキーのピートについて詳しく知りたい方はこちらの記事をチェックしてください。
ウイスキーのピートとは? ピート香の強いウイスキーの飲み方も解説!
1824年以降は、政府公認の初の蒸留所であるザ・グレンリベットの誕生から蒸留所が乱立していくことになります。
1831年にはイーニアス・コフィーにより連続式蒸留器が開発され、ローランド地域を中心に連続式蒸留器が広がることで、グレーンウイスキーの生産が本格化します。
グレーンウイスキーは麦芽税を逃れるために、ウイスキーの原料に大麦以外の穀物を使用して製造するようになったのが始まりです。
モルトウイスキーとグレーンウイスキー、2種類のウイスキーの製造が盛んになると1853年にこの2つのウイスキーをブレンドして作ったブレンデッドウイスキーが初めて販売されます。
個性の強いモルト原酒とクセが少なく飲みやすいグレーン原酒をブレンドして、より洗練したウイスキーを作るブレンデッドウイスキーは現在においてもウイスキー市場の主流とも呼ばれる存在です。
また、ブレンデッドウイスキーは品質の均一化と大量生産の2つの問題を解決したため、スコッチウイスキーが世界的に親しまれるようになるきっかけを作りました。
スコッチウイスキーの基礎は1707年代の密造時代における製造工程と、1800年代のブレンデッドウイスキーの誕生により完成されたといえるでしょう。
ウイスキーをブレンドする意味について詳しく知りたい方はこちらの記事をチェックしてください。
ウイスキーをブレンドする意味とブレンデッドウイスキーを自作する方法
1854年以降、スコッチウイスキーは世界へと羽ばたいていきます。
特に1902年には日英同盟により、日本にもスコッチウイスキーが輸出されるようになりました。
1900年以降のウイスキー史における代表的な出来事はシングルモルトウイスキーの誕生が挙げられます。
1963年にグレンフィディックからシングルモルトが初めて販売されました。
さまざまな原酒ブレンドにより完成度を高めたブレンデッドウイスキーが主流の時代に、同じ蒸留所のモルト原酒のみを使用したシングルモルトウイスキーの発売は疑問の声が多数存在したようです。
しかし、グレンフィディックは予想を大きく裏切り、大ヒットを記録し、シングルモルトブームが始まります。
1880年代にはグレンフィディックに続き、さまざまな蒸留所からシングルモルトウイスキーが発売されました。
これまでブレンデッドウイスキーの原酒以外に日の目を見ることがなかったモルトウイスキーが脚光を浴びることとなります。
シングルモルトは蒸留所ごとの個性が強く出るウイスキーであり、個性的なフレーバーが多くの人の心をつかみました。
そのため、シングルモルトブームは一過性のものではなく、愛好家を中心に高値で取引されることも増え、年々市場の拡大が続いています。
シングルモルトウイスキーについて詳しく知りたい方はこちらの記事をチェックしてください。
ここまでスコッチウイスキーの歴史を解説しましたが、次は日本への伝来と発展に絞ってみていきましょう。
年度 | 出来事 |
1853年 | ペリー来航の際に初めてウイスキーの存在が伝えられる |
1871年 | 日本に初めてウイスキーが輸入される |
1902年 | 日英同盟によりスコッチウイスキーの輸入量が増加 |
1918年 | ニッカウヰスキーの竹鶴政考がスコットランドで現地実習を開始 |
1923年 | 日本で初めての蒸留所「寿屋 山崎工場(山崎蒸留所)」が設立 |
1929年 | 初の国産ウイスキー「サントリー・ウイスキー白札」が発売 |
1971年 | ウイスキー貿易の自由化 |
1992年 | ニッカウヰスキーがベン・ネヴィス蒸留所を買収 |
2014年 | サントリーがビーム社を買収(ビーム・サントリー社となる) |
日本にウイスキーが初めて伝わったのは1853年にアメリカのペリー総督の艦隊が日本に初めてやってきた年とされています。
1871年には薬酒問屋が日本で初めてウイスキーを輸入しましたが、当時、ウイスキーを含めて洋酒自体が広まることはありませんでした。
1902年に日英同盟が発足すると、ウイスキーの輸入量は増加し、徐々に洋酒が受け入れられるようになります。
1911年に関税自主権が回復したことにより、輸入アルコールが高くなり、ウイスキーを含める洋酒を自国で製造する流れが生まれていきます。
ニッカウヰスキーの竹鶴政考氏が、スコットランドの蒸留所で現地実習を始めたのは1918年のことです。
本場のスコットランドにおけるウイスキーの製造方法について書き残した竹鶴ノートは、日本のウイスキーの発展に大きく貢献しました。
1923年には現在の山崎蒸留所の基となる寿屋 山崎工場が設立され、1929年に同蒸留所からサントリー・ウイスキー白札が販売されます。
その後は1939年に第二次世界大戦、1945年の終戦までの間にも新たなウイスキー銘柄が販売されるものの、本格的に日本でウイスキーが発展していくのは終戦後のことになります。
終戦後の日本は洋食化が進むことで、本格的にウイスキーが人々の生活に浸透していくことになります。
依然として日本においては高級酒であることは変わりありませんでしたが、1971年にウイスキーの貿易が自由化されることにより、手を出しやすい価格に変化していきます。
サントリー、ニッカウヰスキー、キリンディスティラリーなどの日本を代表するウイスキー業者を中心とした活動により、ウイスキーの消費量は酒税法の改正により一時的に低迷はしたものの伸びていきました。
また、1992年にはニッカウヰスキーがスコットランドのベン・ネヴィス蒸留所を買収し、2014年にはサントリーがジムビームで有名なビーム社を買収します。
近年では世界的なジャパニーズウイスキーブームも発生し、ウイスキー業界において日本の存在は欠かせないものとなっているのです。
スコッチウイスキーの歴史と日本におけるウイスキーの歴史について解説しました。
ウイスキーの歴史を紐解くことで、ピート香や樽熟成など、現在のウイスキーの特徴や個性を決定づけた経緯が分かったのではないでしょうか。
遥か昔にボトリングされたヴィンテージ物のウイスキーを飲む機会があれば、当時のスコットランドに思いをはせながら飲むことでより楽しめるかもしれませんね。