【現地レポート】「BUSHMILLS CASK DISCOVERY BAR」にて“樽を飲む。”を体感!
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中目黒駅から徒歩5分。夜の山手通りにイエローゴールドの光を煌々と輝かせているBar SAWA。貴重なウイスキーが所狭しと並べられた店内はさながらウイスキーの美術館のようです。
そんなBar SAWAのオーナーである新谷茂子(しんたに しげこ)さんは、Bar SAWAの経営のみならず、ウイスキーセミナー「Red rose」の主宰やウイスキーに関する本の執筆など多岐にわたって活躍され、長年に渡ってウイスキーの魅力を伝えられてきました。
また2024年春には、スコッチウイスキー業界において最も格式の高い協会であるザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒの会員である、キーパー・オブ・ザ・クエイヒ(キーパー)に就任されました!キーパーへの就任は日本人女性としては初の快挙になります。
Bar SAWAを開く前は宝塚娘役トップスターや舞台女優としても活躍されていた新谷さんの、生い立ちからウイスキーに携わられるようになったきっかけ、ウイスキーに懸ける想いなど様々なお話をお伺いしました!新谷さんの半生にも迫る内容となっていますので、是非最後までご覧ください!
1985年に中目黒にオープンしたBar SAWAは、世界的にも珍しいウイスキーを多く取り扱ってるバーです。店内には数多くのレアウイスキーが並び、「ダルモア シリウス1951」や「マッカラン1948」を始めとした稀有なウイスキーが置かれています。
新谷さんは世界130か所以上の蒸溜所やワイナリーを訪問されていて、ウイスキー造りに関しても豊富な知識をお持ちです。Bar SAWAでは蒸溜所とコラボして造られたオリジナルのウイスキーを飲むこともできます。
Bar SAWAについてはこちらの記事で詳しくご紹介していますので、併せてご覧ください!
店名 | Bar SAWA |
所在地 | 東京都目黒区東山1-6-7フォーラム中目黒1F |
アクセス | 中目黒駅より徒歩3分 |
電話番号 | 03-3792-5292 |
営業時間 | 17:00 – 翌 05:00 |
定休日 | 年中無休 |
HP | 公式HPはこちら |
Dear WHISKY:
新谷さんはどのような幼少期を過ごされたのですか?
新谷さん:
私は石川県金沢市の出身で、実家は料亭を営んでいたの。3歳の頃からピアノを習い始めて、6歳の時には日本舞踊、小学校3年生の時からはバレエも習っていたわ。小学校5年生になると、またピアノを習うようになり、同じ時期に声楽もやっていたのよ。
Dear WHISKY:
幼少期から様々な習い事をされてきたのですね!その後、どのようなきっかけで宝塚音楽学校を志すようになったのですか?
新谷さん:
正直、実家の料亭を継ぎたくないというのが大きかったわ。母は私に料亭を継いで女将をやってほしかったみたいだけれども、私は実家を継いで商売をやりたくなかったの。そんな時に金沢に宝塚音楽学校の先生が来てその先生に宝塚に誘われたの。幼少期から演劇に通ずるものに触れてきたから、演劇に魅力を感じていて宝塚に行こうと思ったのだけど、最終的に決める時、母に「あなたが行きたいのよね?」と訊かれ、その時に誘われたからではなく、自分の意志で宝塚に行くことを決めたわ。
Dear WHISKY:
宝塚音楽学校へはいつ頃入られたのですか?
新谷さん:
15歳の時に首席で入学して、2年間学んだのち首席で卒業したわ。そしてそのまま、宝塚歌劇団の54期生として入団したのよ。出身地の金沢にちなんで「沢 かをり」という芸名を頂いたわ。Bar SAWAもこれにちなんで付けた名前ね。
Dear WHISKY:
17歳ですか!若くして宝塚に入られたのですね!
新谷さん:
同期の中では1番年下だったの。
その分大変なことも色々あったけれど、本当に楽しい時間を過ごせたし、宝塚にいた経験がその後の私の人生にも大きな影響を与えたことは間違いないわ。
Dear WHISKY:
入団後はどのような活動をされていたのですか?
新谷さん:
関西テレビで放送されていた宝塚ヤングバラエティ番組『宝塚・シックス・オーオー』のレギュラーメンバーで構成された「バンビーズ」に選ばれて、その初代リーダーも務めたわ。
嬉しいことに当時のファンの方が今でもお店にいらして下さるの。
Dear WHISKY:
ご自身の宝塚時代を振り返って転換点となるような出来事はありましたか?
新谷さん:
元々は星組で鳳蘭さんの相手役をしていたわ。その後雪組に移って、汀夏子さんの相手役で「フィレンツェに燃える」の公演に出たときに、雪組主役でトップになったの。この作品は【芸術選奨文部大臣新人賞※】を受賞したわ。
Dear WHISKY:
24歳の時に宝塚歌劇団を退団されていますが、退団されたのにはどういった経緯があったのですか?
新谷さん:
星組から雪組に移った時期から少しずつ退団することを考え始めていたの。そんな折に実家の料亭が倒産してしまって、母親の面倒を見なければならなくなったの。
Dear WHISKY:
大変な状況下での宝塚退団だったのですね…
新谷さん:
それでも恵まれていたと思うのは、その頃十二代目 市川團十郎さん(当時十代目 市川海老蔵)が主役で出られていたテレビドラマ『宮本武蔵』の朱美役でお声がかかったの。
その朱美役で初めてテレビドラマに出演させていただいて、女優としてデビューしたの。
Dear WHISKY:
テレビドラマにも出演されたのですね!
新谷さん:
でもテレビの出演料だけでは母を養って生活することが難しかったのよ。そこで松竹演劇部と契約して、舞台女優としての日々がスタートしたわ。
Dear WHISKY:
新谷さんは演劇のどのようなところに魅力を感じましたか?
新谷さん:
演者が自分とは全く異なる誰かになりきるところね。当時、劇作家の北条秀司※先生へ師事していたのだけれど、とある公演で樋口一葉の『にごりえ』でお力(おりき)の役を演じることになったの。お力は私娼で、いわゆるお女郎さんなのだけれど、北条先生から君のお力は綺麗だと怒られてしまったの。
Dear WHISKY:
綺麗というのは褒め言葉だと思うのですが、なぜ怒られてしまったのですか?
新谷さん:
『にごりえ』は娼婦であるお力が健気に生きる様を描いた作品なの。北条先生に「お力は体を売って生きる蓮の花であるのに、君は宝塚出身だからか綺麗に演じてしまっている」と言われてしまったのよね。
そういう自分にはない部分を魅せるのが芝居の面白さね。
Dear WHISKY:
ご自身の演劇人生を振り返って、特に印象に残っている出来事はありますか?
新谷さん:
北条先生の戯曲「王将」で緒形拳さんのお相手役であるお玉を演じていた時に、人生で一度だけ「じわが来た」ことがあったの。
Dear WHISKY:
「じわが来る」というのはどういった状況ですか?
新谷さん:
「じわが来る」というのは、客席と相手役と私の心が一緒になることなの。
これはめったに起こらないことで、私も人生でたった一度だけ来たの。その時は舞台が終わっても客席から誰一人帰ろうとせず、私たちが出るまで誰一人として帰らなかったわ。
Dear WHISKY:
宝塚・舞台女優と演劇時代を通じてどのような心境でしたか?
新谷さん:
宝塚時代は、若くして入団したこともあり、大変な思いをすることもあったけれど、純粋にお芝居を楽しむことが出来て、本当に楽しい日々を過ごしたわ。
宝塚を退団して舞台女優になってからは、母を養わなければならない状況の中で、私はお金や周りの人に惑わされることなく自分の力で生きたいと強く思ったわ。
ほかの人に頼ったり、人様に迷惑をかけるようなことは絶対せずに、自分の足で立っていこうと強く心に決めたのよ。
Dear WHISKY:
演劇時代を振り返ってみていかがでしたか?
新谷さん:
もちろん辛いことも多かったし、大変な毎日だったけれど、演劇は本当に楽しかったわ。
三度の飯よりもお芝居が好きだったから、宝塚にいた時も、舞台で演劇をしていた時も心に残るいい思い出ね。
Dear WHISKY:
どのようなきっかけでそれまで歩まれていた演劇の道を離れ、Bar SAWAを開くことになったのですか?
新谷さん:
好きな人が出来て、31歳の時に結婚したんだけど、結婚をきっかけに演劇の道を離れたの。周りの反対を押し切っての結婚したは良いものの、その人に生活費を入れてもらえず、お金が必要になって始めたのがBar SAWAなのよ。
Dear WHISKY:
Bar SAWA誕生にそのような背景があったのですね!
新谷さん:
最初はお金もなかったからお金を借りてお店を開こうとしたのだけれど、そのお金も結婚相手が使ってしまったの。その時に宝塚時代の先輩が助けてくれて、何とか開店することが出来たわ。
Dear WHISKY:
開店当時から今のようなウイスキーバーだったのですか?
新谷さん:
今とは全然違って、どちらかと言えばスナックに近いようなバーだったのよ。
Dear WHISKY:
Bar SAWAが今のようなウイスキーバーになるようなきっかけとなる出来事はあったのでしょうか?
新谷さん:
お店を初めて20年目の時に、それまで16年務めていたバーテンダーが辞めることになってしまったの。その時にお店の状態を見直してみたら、常連さんだけが集まるお店になってしまっていたのよね。
このままではこの先の時代に対応できないと思い、お酒の勉強を始めることにしたの。
Dear WHISKY:
新谷さんはいつごろからウイスキーを飲まれていたのですか??
新谷さん:
初めて飲んだのは演劇をやっていた頃で、番組の打ち上げで飲ませていただいたのが初めてだったわ。
Dear WHISKY:
その当時からウイスキーはお好きでしたか?
新谷さん:
全然そんなことはなかったわね。初めて飲んだ時も二日酔いでひどい目に遭ったし、Bar SAWAを開いた当初もあまり興味はなかったわ。
Dear WHISKY:
そんな中、どうしてウイスキーがお好きになったんですか?
新谷さん:
先ほど話したように、長く勤めていたバーテンダーが辞めることになった時に、お酒の勉強を始めたの。色んなお酒を勉強していく中で特にウイスキーに惹かれ、どんどんウイスキーの世界にのめり込んでいくようになったわ。
Dear WHISKY:
どのようにしてウイスキーについて学ばれたのですか?
新谷さん:
ウイスキーに関する試験、「ウイスキープロフェッショナル」を受けたわ。
この試験が本当に難しくて、1日16時間くらいは勉強していたわ。
Dear WHISKY:
ものすごい勉強量ですね!具体的にはどういったところが難しかったのですか?
新谷さん:
ウイスキーには化学の知識も必要だし、歴史も知っておかなければならないのだけど、
特に大変だったのは、ウイスキープロフェッショナルの試験が英語で出題されるということね。私は英語が得意ではないから苦労したわ。
Dear WHISKY:
どのようにして試験の対策をされたのですか?
新谷さん:
ウイスキーについて学んでいると、色んな数字を覚える必要があるの。例えば「標高328メートル」と書いてあれば、バルヴェニー蒸溜所の話だとわかるし、「4.5%」と書いてあれば、スプリングバンク蒸溜所の発酵槽のアルコール度数の話だと分かるの。こういう風にウイスキーについて勉強していくうちに色んな蒸溜所の個性や特徴が分かってきて、この知識を活用して英語の試験も無事合格したわ。
Dear WHISKY:
ウイスキーの勉強は奥が深いんですね!
新谷さん:
大変だったけれど勉強していて本当に楽しかったわ。
私は努力することが本当に好きだから今も継続して勉強しているし、これからも学び続けたいと思っているわ。
Dear WHISKY:
試験以外にはどういった勉強をされてきたのですか?
新谷さん:
ウイスキーについて学び始めてからは、毎年スコットランドに行くようにしたの。
毎年スコットランドへ行って、とにかく色んな蒸溜所を見て回ったわ。
Dear WHISKY:
本場スコットランドでもウイスキー造りを学ばれたのですね!
新谷さん:
一時期は自分の蒸溜所を造りたいとも思っていたから、スプリングバンク蒸溜所へ行って、1週間実際に蒸溜所で働かせていただいたりしたの。
スコットランドでウイスキー造りのいろはを学ぶのはとても有意義だったわ。
Dear WHISKY:
毎年スコットランドを訪れるようになってから、何かご自身にとって転換点となるような出来事はありましたか?
新谷さん:
私にとって重要な出来事としては、嶋谷幸雄(しまたに ゆきお)さんと出会ったことかしらね。嶋谷さんはサントリーで長くウイスキー造りに携わっていた方で、白州蒸溜所の初代工場長や山崎蒸溜所工場長も務めていた方ね。
Dear WHISKY:
スコットランドで嶋谷さんと出会われたのですね!
新谷さん:
嶋谷さんとのご縁からウイスキーセミナーを始めることになったり、私が執筆した本の監修をしていただいたりと、大変お世話になっている私の「お師匠さん」よ。
Dear WHISKY:
新谷さんは世界的に有名なマスターブレンダーであるリチャード・パターソンさんとも親交がありますが、出会いのきっかけとなる出来事はあったのでしょうか?
新谷さん:
嶋谷さんと一緒にスコットランドを訪れた際に、ダルモア蒸溜所を訪問し、そこでマスターディスティラーを務めるリチャード・パターソンさんに迎え入れていただいたの。そこで「1951」と書かれた樽をたまたま見かけたの。
Dear WHISKY:
「1951」ですか?かなり古い樽ですね。
新谷さん:
1951年は私の生まれ年だったから運命を感じて、「これをボトリングするときは連絡してほしい」とパターソンさんに名刺だけ渡して帰ったわ。それから数年後のある日突然電話がかかってきたの。電話に出てみると驚いたことに、電話をかけてきたのはパターソンさんご本人だったの。あの樽に入っていた原酒をボトリングしたことを伝えるためにわざわざご本人が連絡して下さったのよ。そのボトリングされたウイスキーが「ダルモア シリウス 1951」。このシリウスは世界で12本しかなく、アジアではBar SAWAにしかないのよ。
Dear WHISKY:
シリウスは新谷さんにとって大切なウイスキーなのですね。
新谷さん:
そのシリウスをパターソンさんと一緒に飲みたいという想いもあって、パターソンさんをRed roseセミナーのパーティーにご招待させていただいたの。パターソンさんと知り合ってから10年経った頃のことね。
Dear WHISKY:
新谷さん主宰のパーティーにパターソンさんが参加されたのですね!
新谷さん:
コロナウイルスの感染拡大によって延期になったり、開催にこぎつけた時も、国を跨ぐ移動がまだ自由にできる時期ではなかったから、パターソンさん来日の前日までビザが降りなくて、とても大変だったのよ。やっとの思いで来日されて、パーティーにご参加いただいたのよ。
Dear WHISKY:
パターソンさんが出席されたRed roseのパーティーというのはどのようなものだったのでしょうか?
新谷さん:
パターソンさんやRed roseを始めるきっかけとなった嶋谷さんをはじめとして、サントリーマスターブレンダーの鳥井信吾さんや竹鶴政孝のお孫さんに当たる竹鶴孝太郎さんなど、会社の垣根を超えてウイスキーに携わる様々なにお越しいただいて開いたパーティーよ。パターソンさんと嶋谷さんに特別セミナーをしていただいたり、私も歌を披露させていただいたりと、素晴らしい会になったわ。
Dear WHISKY:
とても豪華なパーティーですね!
新谷さん:
パーティーの終了後には、皆さんにBar SAWAへお越しいただいて「ダルモア シリウス 1951」を開封したの。10年前にスコットランドの地でパターソンさんと出会い、そこで出会った自分の生まれ年の原酒がボトリングされたこの特別な1本は、パターソンさんが日本に来られた時、一緒に開栓すると決めていたの。コロナもあって様々な困難を乗り越え、ようやく実現した特別な会だったのよ。その後も数日間パターソンさんは日本に滞在されて、国内の様々な蒸溜所を訪問したり、観光したりと楽しい時間を一緒に過ごさせていただいたわ。
Dear WHISKY:
2024年春に新谷さんが就任されたキーパー・オブ・ザ・クエイヒというのはどのようなものなのでしょうか?
新谷さん:
キーパー・オブ・ザ・クエイヒはスコッチウイスキーの発展に貢献したと認められた人から選ばれ、私は日本人女性として初めてキーパーに就任することになったのよ。
Dear WHISKY:
素晴らしい快挙ですね!今回新谷さんはどのような理由でキーパーに選ばれたのですか?
新谷さん:
今回パターソンさんの推薦でキーパーに就任することになったわ。造り手に想いを馳せ、造り手を大切にするブレない気持ちをセミナーの継続を通して体現したこと。その想いを言語化した書籍を執筆したことなどが、キーパーに選ばれた理由だったわ。
Dear WHISKY:
キーパー・オブ・ザ・クエイヒに就任した率直な感想はいかがでしたか?
新谷さん:
最初は驚いたけど、名誉に思ったわ。それにスコットランドの造り手の文化に触れることもできたし、この経験を大切にして改めてウイスキーの良さを多くの人に広めていきたいと思ったわ。
新谷さんのキーパー・オブ・ザ・クエイヒ就任についてはこちらの記事詳しく取り上げていますので、ぜひ併せてご覧ください!
Dear WHISKY:
新谷さんが思うウイスキーの魅力は何ですか?
新谷さん:
ウイスキーの造りね。造り手の方々は懸命にウイスキーを造るけど、同じウイスキーにはならないの。繊細な心の人がウイスキーを造ると、柔らかくて優しい味わいのウイスキーになるし、チャレンジングな人が造れば個性的で強いウイスキーになるわ。こんな風にウイスキーはその造り手の性格がよく反映されるお酒なのよ。
Dear WHISKY:
造り手の性格が反映されるのですね!
新谷さん:
ウイスキー造りに懸ける想いや情熱は素晴らしいわ。自分の車を売ってまでウイスキー造りに情熱を注いでいる造り手さんだっているほどなのよ。
Red roseセミナーは新谷さんが主催しているウイスキーセミナーです。年に5回開催されており、国内の様々な蒸溜所からウイスキーの造り手が講師として登壇し、ウイスキー造りの専門的な内容が学べるセミナーです。Red roseにはウイスキー愛好家はもちろん、蒸溜所で働く造り手の方も受講しに来られます。
Dear WHISKY:
Red roseセミナー誕生にはどのような背景があったのですか?
新谷さん:
あるひとから「ウイスキーセミナーをやってくれないか」と頼まれたの。ただ私では伝えられることが少ないということを嶋谷さんにご相談したら、「だったら造り手が発信するセミナーをやろう」とおっしゃったのよ。
Dear WHISKY:
「Red rose」という名前の由来はどこにあるのでしょうか?
新谷さん:
スコットランドの国民的詩人であるロバート・バーンズの詩に「真っ赤な真っ赤なバラ(A Red, Red Rose)」とい素敵な恋の詩があるの。
その詩から取って、「Red rose」と名付けたわ。
Dear WHISKY:
新谷さんが思うRed roseの魅力は何でしょうか?
新谷さん:
様々な会社や蒸溜所の造り手さんたちが一緒に発信するセミナーだということね。
私はテリトリーのないことをやりたいと常々思っていたの。だからこのRed roseは、様々な会社の造り手が競争相手としてではなくて、分け隔てなく皆が平等に活躍する場なのよ。
Dear WHISKY:
新谷さんにとってウイスキーの造り手の方々はどのような存在ですか?
新谷さん:
やっぱり人それぞれ顔が違うように、皆さんそれぞれ違った魅力を持っていらっしゃるけれども、一貫して共通しているのは、
造り手はピュアでアートだということね。造り手の方々は日本の宝よ。
Dear WHISKY:
新谷さんは造り手の皆様を尊重していらっしゃるのですね。
新谷さん:
スコットランドの造り手は今でも勘に頼る部分が多いのだけれど、日本の造り手の方々はフレーバーや香りをしっかりとデータに起こして、精密に造られるの。美味しいウイスキーを造るために様々な研究を重ねて、丁寧に造られるのよ。
そんな日本の宝である造り手の皆様の想いをセミナーやお店でお客様にお伝えしたいのよ。だから私は造り手の想いを伝える伝道師だと思っているわ。
Red roseセミナーについてはこちらの記事詳しく取り上げていますので、ぜひ併せてご覧ください!
Dear WHISKY:
Bar SAWAの店内にはウイスキー造りにまつわる写真がプリントされていますが、なぜこのような内装にしているのですか?
新谷さん:
カリラ蒸溜所の発酵槽やラフロイグ蒸溜所のポットスチル、ストラスアイラのキルンのように様々なスコットランドの蒸溜所やその設備の写真を飾っているの。
特に製造設備の写真はウイスキー造りの工程に沿って並べてあって、お客様に説明しやすいようになっているのよ。
Dear WHISKY:
ウイスキーの製造工程順に並べられているんですね!照明に使われているこのステージライトも印象的ですが、これはどういったものなのですか?
新谷さん:
このライトは40年前に私がこの店を開いた時に選んだ照明なのだけれど、本当は別の照明を使う予定だったの。けれど当時はあまりお金が無くてこの照明になったのよね。
今となってはこのレトロな黄色いライトが中目黒の街ではよく映えるし、ここにいらしたお客様が「この温かいライトが家に帰ったような気持ちにさせてくれる」と言って下さることもあるわ。
Dear WHISKY:
貴重なウイスキーが所せましと店内に並べられていますが、バックバー(カウンター奥のボトル棚)にはどういったウイスキーが置かれているのですか?
新谷さん:
下段左側には’ポートエレン’や’ラフロイグ40年’、’ブラックボウモア’といったアイラウイスキーが並んでいるわ。中央にある’マッカラン1948’から右に行くとマッカランのレアボトルやバーボンが置いてあるわね。その上の段には’グレンリベット50年’を始めとしたスペイサイドモルトを並べていて、上の方には’ザ・ニッカ40年’や’イチローズチョイス’といったジャパニーズウイスキーのレアボトルも置いているわ。そしてお店の中で一番よく見えるところには、先ほど話した’ダルモアシリウス1951’を置いているの。
Dear WHISKY:
普段お目にかかることのできない貴重なウイスキーばかりですね…
新谷さん:
Bar SAWAを始めた頃はここまでウイスキーを取り扱ってはいなかったけれど、今となっては日本で一番貴重な品揃えだと思うわ。
このラインナップは間違いなく日本一よ。世界に3つしかない白州のカスクストレングスも置いているしね。
Dear WHISKY:
ラインアップのすごさも勿論ですが、これらの貴重なボトルが開けられていることも驚きです!
新谷さん:
私はコレクターではないからお客様に飲んでいただくためにボトルは開けるのよ。
それに貴重なウイスキーというのはどんどん数が少なくなって飲めなくなってしまうから、飲もうと思った時に飲むのが大切なのよ。
Dear WHISKY:
「純真」誕生の背景について教えてください。
新谷さん:
私がリチャード・パターソンさんが来日する際に何かボトルをプレゼントしたいと思ったのが発端よ。そのことをサントリーチーフブレンダーの福與伸二さんにご相談して、実現したの。この「純真」は日本のウイスキーの歩みや研鑽、造り手のあふれる想いをウイスキーにして表現したものなの。
Dear WHISKY:
新谷さんの想いから誕生したウイスキーボトルなのですね!純真はどういった原酒から造られているのですか?
新谷さん:
使っている原酒は全て山崎蒸溜所で造られたもので、ベースとなる原酒は20年~23年のミズナラモルトやスパニッシュオークモルト、スモーキーモルトを使用しているわ。
さらに62年物のミズナラ原酒も含まれているのよ。
その他にも61年、58年物のミズナラ原酒、そしてそれぞれの原酒をブレンドして、アルコール度数52%のカスクストレングスでボトリングされているわ。
Dear WHISKY:
大変貴重なウイスキーですね…!
新谷さん:
山崎蒸溜所の工場長も務めた嶋谷さんは、
この純真を「山崎蒸溜所の原酒を使った中で最高のウイスキー」とも仰っていたわ。
Dear WHISKY:
「純真」という名前にはどのような意味が込められているのですか?
新谷さん:
ラベルの『純真』の字を書かれた書家の武田双雲さんに、「造り手がどういった存在か」と聞かれたときに、私は「純粋でひとすじ」「真実で嘘が無い」と答えたの。
そこから純粋の「純」と真実の「真」を取ったのが「純真」の由来よ。
さらにラベル中央のブルーは、山崎に流れる3つの川を表しているわ。
あと私がキラキラしたものが好きだから、バックラベルにはスワロフスキーをちりばめているわ。
Dear WHISKY:
このボトルが誕生するのにはどのような経緯があったのですか?
新谷さん:
イチローズモルトを手掛けるベンチャーウイスキー創業者の肥土伊知郎(あくと いちろう)さんと親交があったの。
そこでBar SAWAオリジナルボトルを造っていただけないかと打診したら、特別にオリジナルボトルを造っていただけることになったのよ。
Dear WHISKY:
このオリジナルボトルはどのようなウイスキーですか?
新谷さん:
両方シングルカスクのウイスキーで、ファーストフィルのバーボンバレルで7年間熟成させたものと、もう一本はオロロソシェリー樽で5年間熟成させたものよ。どちらも瓶詰めするときに加水していないカスクストレングスね。
Dear WHISKY:
どちらのボトルもラベルに描かれた素敵な猫の絵が印象ですが、これにはどういったコンセプトがあるのでしょうか?
新谷さん:
蒸溜所には昔モルトを食べにネズミが出ていたの、そのネズミを追うために蒸溜所では猫を飼うことがよくあったのよ。この左のボトルのラベルには、そのネズミを追う子猫たちとそれを優しく見守る母猫が描かれているわ。それが右のボトルのラベルでは、結婚式を挙げる子猫たちを先立った母猫が天の川から見守っているの。このボトルを作る時、ちょうど私の息子が結婚したの。その結婚式への思いにも合わせて表現したの。
Dear WHISKY:
Bar SAWA記念オリジナルボトルは一般的なウイスキーボトルのラベルとは異なる印象を受けますが、新谷さんのボトルデザインにはどのようなこだわりがありますか?
新谷さん:
ウイスキーボトルのラベルってここ100年でほとんど変わっていないの。ほとんどのボトルに書かれているのは、蒸溜所の名前と熟成年数くらいね。
だからこの伝統を変えてしまってもいいと思ってあの猫のラベルが誕生したのよ。実際にバーに来た多くの人に気に入っていただけたわ。
Dear WHISKY:
新谷さんにとって仕事とはどのような存在ですか?
新谷さん:
私にとってのすべてよ。これは宝塚にいた頃や舞台にいた頃から変わらないけれど、
私の時間は仕事を中心に回っているし、やっぱり仕事が好きなのよね。
Dear WHISKY:
仕事の魅力というのはどういったところにあると思いますか?
新谷さん:
「ピュア」なところだね。
Dear WHISKY:
「ピュア」ですか?
新谷さん:
仕事というのは裏切らないの。人は裏切るものだし、自分が裏切っていないつもりでも裏切ってしまっているかもしれない。
でも、仕事はやればやった分だけ成果が出るし、努力した分は反映されるのよ。そういった意味では仕事というのは「ピュアなもの」なのよ。
Dear WHISKY:
現在ジャパニーズウイスキーがブームになっていて、蒸溜所が年々増えていることについてはどのように思われますか?
新谷さん:
素晴らしいことだと思うわ。ただ、100年前も似たような状況だったのだけれど、その頃から今でもウイスキー造りを続けているところはほんの数社しかないの。それだけウイスキー造りって続けるのが難しいのよ。
だから一度ウイスキー造りを始めたら、途中でやめずに続けてほしいわ。
Dear WHISKY:
続けることが大切なのですね!
新谷さん:
確かにウイスキーは何年も寝かせなければならないし、お金も時間もかかるから、ウイスキー造りを続けることは容易なことではないわ。
でも物事は最後までやり抜くことが大事なの。せっかく始めても途中でやめてしまったら面白くないもの。だから是非あきらめることなく継続してほしいわね。
Dear WHISKY:
新谷さんから若い造り手の方々へ向けてメッセージを頂けますか?
新谷さん:
地道に努力して、謙虚に勉強してください。世の中には天才と呼ばれる人もいるだろうけど、天才だって努力しなければだめになってしまう。
特別なことなんて何もないから、コツコツと努力することが大切なのよ。時にしんどくなったり怠けたくなったりするけれども、誠実に努力してちゃんとやりきってほしいわ。
今回はBar SAWAオーナーの新谷茂子さんにインタビューさせていただきました!
宝塚時代から始まった波乱万丈な新谷さんのこれまでの歩みからBar SAWA誕生の背景やこだわり、ウイスキーの造り手にかける想いまで、様々な貴重なお話を伺いました。
新谷さんのキーパー就任やRed roseセミナー、新谷さんの著書「グッド・ウイスキー・タイム」などについての記事も順次公開予定ですので、ぜひ併せてご覧ください!
前代未聞の希少で貴重な特別セミナー&パーティが2024年11月30日(土)に開催されます!
サントリー・ニッカ・キリンの造り手が多数参加、イチローズモルトを含むクラフト蒸溜所24社の造り手が多数参加の特別セミナー&パーティです。
セミナーを行うのはサントリーホールディングス株式会社 代表取締役副会長 マスターブレンダーの「鳥井 信吾」様、竹鶴商品研究所代表 ニッカウヰスキー株式会社顧問 株式会社FIXER社外取締役の「竹鶴 幸太郎」様の二名。
ジャパニーズウイスキーを共につくった、鳥井信治郎と竹鶴政孝。
その意思を継ぐお二人が一堂に会する、またとない一夜です。
ジャパニーズウイスキーが100年続き、新たな歴史を紡いでいくこの節目に、先達から未来の造り手に向けて伝統や技術、想いをつなぎます。